Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

チェコの劇場について

今自分の活動拠点になっておりますチェコの劇場についてです。チェコ国内にはプロとしてオフィシャルに稼働しているオペラ劇場はいかがあります。


プラハ国民劇場(プラハ国民劇場、プラハ国立歌劇場、スタヴォフスケ劇場)
ブルノ国民劇場”ヤナーチェク劇場”
オストラヴァ・モラヴィア=シレジア国民劇場
ウスティ・ナド・ラヴェム北ボヘミア歌劇場
プルゼニュ・ティル劇場
チェスケ・ブディヨエヴィツェ西ボヘミア歌劇場
リベレツ歌劇場
オロモウツ・モラヴィア歌劇劇場
オパヴァ・シレジア歌劇場


こんな感じです。プロダクション的にはこの9劇場ですが、首都プラハと第2の都市ブルノに関しては規模が大きい為説明を加えます。


まずプラハですが、大きな枠組みではプラハ国民劇場となり、その中に()内の3劇場が存在しております。かつては国民劇場&スタヴォフスケ劇場と国立歌劇場の2つに分かれていましたが、約6年ぐらい前に合併して1つになりました。またスタヴォフスケ劇場とは年間プログラムは一応ありますがややイベント劇場的要素があるため、国民劇場が同じメンバーでずっとやってました。またここはかつてW.A.モーツァルト”ドン・ジョヴァンニ”が初演され、映画”アマデウス”のロケでも使われた有名な劇場です。このように、プラハの劇場は厳密には3つ存在していますが、プロダクション的にはかつては2つ、今は1つです。とは言えキャラクターはそれぞれで、国民劇場はチェコオペラ中心、国立歌劇場は世界のオペラを、スタヴォフスケ劇場は”ドン・ジョヴァンニ”を中心にW.A.モーツァルトのオペラがメインで、その他はさまざまです。


ブルノ国民劇場、通称”ヤナーチェク劇場”と言われる歴史と由緒ある名門劇場です。当然、かつてL.ヤナーチェクの名作が初演されております。この劇場はプロダクションは1つですが、建物が2つあります。簡単に言えば新旧で、旧劇場がヤナーチェクのオペラが初演されたりして来たところでマーヘン劇場、いかにもヨーロッパらしい建物です。新劇場が前世紀に作られたモダンな建物で、これが”ヤナーチェク劇場”と呼ばれています。サイズ的にも結構大きなホールです。そして上演ですが、オペラは主にこのヤナーチェク劇場で行い、マーヘン劇場ではバレエ等が主に行われていますが、もちろん重要なオペラ公演も多く行われています。


その他の劇場はほとんどがプロダクションも建物も1つないわゆる普通の劇場的サイズのものがほとんどです。各劇場それぞれのキャラクターがあります。チェコの劇場は対ギアどこでもシステムとして、オペラ、オペレッタ&ミュージカル、バレエ、演劇、と部門が分かれていて、それぞれのチームが存在します。どの劇場にも総裁がいて、オペラ部門にはオペラシェフ、音楽監督、専属指揮者、副指揮者、合唱指揮者、コレペティトアがいます。


社会的にはと言うと、自分が上記の全ての劇場へ行ったわけではないのでずべ手は分かりませんが、少なくとも自分が行ったことある、関わったことある、話に聴いたことある範囲で言うならば、大体どの劇場も結構集客があるようです。オペラ劇場は街の文化歴史の象徴で誇り、皆ものすごく大切にしていることが伺えます。とは言え、チェコオペラ界には財政難など色々な問題もあるようで、たまに経営困難に陥り閉鎖のうわさが聞こえることもありますが、今のところ国や街やファンの力で閉鎖は聞いていません。ちなみに、近頃はチェコは失業率が極めて低く景気が上昇中とのこと、これからはそれに比例してオペラ界も潤ってくれればいいのですが。


チェコの劇場について、とりあえず表面的な部分ではありますが、ザっと書いて見ました。最近はドイツ語圏の劇場などは変に現代化した結果ヨーロッパらしい良き伝統がどんどん消え失せて行っています。でもチェコはまだまだ古き良きヨーロッパの伝統がそのまま残っている部分が多く、チェコオペラ界もまさにそうです。近頃レベル低迷と言われてはいますが、それはそれとして、それとは別に”ヨーロッパの良き伝統”は守られて欲しいと思います。


日本のオペラの流れ

かつて日本ではオペラは全て日本語上演されていた時代があった。まだオペラが日本で浸透していない時代に始まり、実は結構最近までよく行われていた。未だにドイツオペラは日本語上演が残り、オペレッタは来日公演以外は全て日本語である。


日本語上演が主流だった頃、要するに日本でオペラが伝わり上演され出した時代、日本には劇場がなくオペラ指揮者もコレペティトアもいなかった。というより、劇場がない日本に必要な人材ではなかったし、当然教育できる者も教育機関もなかった。そして演出家はというと、そのまま芝居の演出家が対応せざるを得ない。さらに、日本語上演にすることにより、本来作曲された音楽(ディクションから来るフレージングやアーティキュレーション等)が完全に崩れるのは仕方ない話。それらにより、芝居的演出>音楽となり、日本オペラ界は芝居化の一途をたどった。


オペラとは総合芸術ではあるが、舞台作品である以前に音楽作品、作曲家が音楽を付けないことにはオペラにならない。当然、オペラを支配しているのは音楽であり、歌手はまず歌って表現することが最優先、そこに後程演技が付き舞台作品となるわけである。日本のオペラ界は上記の流れにより、その音楽部分が知られぬまま進み、早い話がヨーロッパのオペラの音楽部分がごそっと抜けたような状態になってしまった。さらに、目に見える形ある者が好き&形から入ることが好きな日本人、ただでさえ姿かたちのない音楽、まだ知らない西洋音楽の中身を追及するより、そのまま日本語上演で芝居化に走ってしまったわけである。こうして日本のオペラは、本来音楽であるオペラを無理矢理芝居としてやり続けて来た結果、現在に至る。


ところが、最近は留学生も増え、少なからず本場の本物を知るものが少しずつ増えて来た。そして日本でも原語上演は主流になって来た。となると、多かれ少なかれオペラにおける音楽の必要性と重要性を考えずにはいられなくなって来た。とは言え、歴史的に日本のオペラは芝居で作る者とされてきている為、いまいちこの音楽が浸透しない。流れからして、日本オペラ界は古い世代ほど芝居、若い世代ほど音楽に気づきつつある、といったところだろう。とは言え全てが未だに芝居重視であることには変わりない。でもこの若い世代がもっと音楽としてオペラを学び、気づき、そして変えていく、そうなればいいのだが。それには当然、まず我々指揮者&コレペティトアが頑張らねばならない!


日本オペラ界の象徴

日本でオペラ歌手と言われる&言っている人たちとオペラの話をすると、皆芝居の話しかしない。ベテランや経験豊富とされる人ほどその傾向は強い。一方ヨーロッパでは、少なくとも自分が知る限りでは、それほどまでに芝居を強調したり意識したりするオペラ歌手に出会ったことがない。むしろ音楽にそれレベルで強い意識を持った者は沢山見た。これは歌手に限らずオペラ人全体の傾向だが、要するに日本とヨーロッパではオペラというものが真逆である。基本的認識は、ヨーロッパではオペラ=音楽、日本ではオペラ=芝居である。なぜこうなったのか…。経験上分かる部分もあるが、それにしてもすごい。


日本のオペラ歌手らと話していて、全員とは言わないが大半が芝居のことしか考えていない。そもそもオペラは芝居ではない。後にその要素は加わるが、本物の芝居ではない。オペラの演技の仕方とうのがあるわけである。その前にオペラは全体が常に音楽が支配されている。変な言い方だが、オペラは結局所詮音楽作品である。芝居ではないし芝居にはなれない。しかし日本ではそのオペラを無理矢理芝居として行い、結果芝居に無理やり音楽を付けたようになっている。では演技はと言うと、決して芝居レベルには到達していない。本来音楽の流れの中でやるべきオペラの演技のはずが、無理やりそれ始動でやるため、取って付けたようにしかならず、極めて不自然になっていることがほとんどである。ある人はこう言う。「この指揮者はかつて演劇をやっていたからいいオペラ指揮者だ」と。そりゃ何でも経験するに越したことはないが、しかしオペラ指揮者として言わせてもらうと、確かに演技の都合に対応することはあるが、それらはそこまでまじになって経験しなくても、指揮者として充分意識していれば充分であり、演劇をやっていたことは悪くないにせよオペラ指揮者のクォリティーには大して関係ないわけである。それ以前に、オペラ歌手は確かに演技はするが、実際問題オペラでの演技は多くの日本人が思っているほど過剰に重要と言うわけではない。それよりかははるかに音楽が重要である。決して演技が必要ないと言っているわけではなく、まず音楽で一通りやって、それからという意味である。逆に言えば、演技は後からなんとでもできるが、音楽は絶対的に作曲されていて、それがなければオペラにはならないわけで、まず音楽が最重要ということは世界の常識というか当たり前である。しかしその最重要が音楽ではなく芝居に無理やりされているのが日本である。


自分は日本でオペラを振る時は基本的に演奏会形式と決めているし、自らがプロデュースする場合はそのやり方にこだわっている。今度年明けに振るルサルカもそうである。前述のことから、日本ではヨーロッパとは真逆、すなわち本来のオペラとは違う形にされたオペラ、言わば新ジャンルとして行われている。日本独特のやり方のオペラである。ズバリ言えば、日本には本物のオペラはない。少数派はいるかもしれないが、オペラ界全体としてはオペラをやっていない。無理やり芝居化した偽オペラである。しかしそれは日本では相当定着し、やってる人たちは致命的にそれにこだわりを持っている。ゆえに、自分のようにヨーロッパのものを持ち込み伝えようとするものは基本的にウケない。それゆえに、自分は今回のルサルカを筆頭に、日本ではできることだけできれば、必要とされるところで必要とされれば、と思っている。そんな中で色々な出会いがあり、その中で自分のやることや伝えようとすることに気づいて下さる方が1人でも2人でもいたなら、それでも充分最高である!


ただこれだけは日本のオペラ人は冷静になるべきである。そういった傾向ゆえに、日本ではオペラは変だとか奇妙だとかで人気がないというのは紛れもない事実である。オペラを芝居に仕立てて盛り上がっているのは残念ながらオペラ歌手らだけである。この理由は明らかで、やはり無理やり芝居にして音楽を無視するため、極めて不自然で一般人には受け入れられないわけである。やってる人は音楽をしかkりやっていると言い張るだろうが、それは残念ながらやっているレベルにはならない。自分がそう感じるわけだから世界レベル目線では相当である。さらに演技はというと、本物の芝居の役者からすればオペラ歌手の演技は演技ではない。皆はっきりそう言っている。自分がここで書いてること全ては決して個人感情ではなく世の中の純粋な現実である。事実、それゆえに気持ち悪くて劇場へ行きたくないというオペラを敬遠する音楽ファンも多いし、さらには音楽家や声楽家でさえ、その不自然さゆえに遠ざかってしまっている。オペラ=芝居と思い込みドツボにはまってしまった人はリセット不可能なのかもしれないが、しかし本来はこういった世の中の現実を冷静に見つめ、オペラ人として社会人としてどうあるべきかを考えるべきではないだろうか。オペラも、さらにはオーケストラも人間の集合体であり、結局は民族性や社会性に影響する。日本のオペラがよくなる&変わる唯一の方法は、オペラを芝居ではなく本来の音楽として再出発すること、はっきり言ってこれしかない。しかし、恐らくこれが一番無理なことであろう。