Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

オペラ界の今

先日付き合いの長い学友と会って飲みました。彼は元々声楽科でしたが、当時からリート伴奏が好きでよく伴奏もしていまして、色々あって結果、大学講師になり声楽科の学生にコレペティをしています。自分も声楽出身でオペラ指揮者&コレペティトアなので、彼とは経緯も活動内容も共通点も多くかなり話が合います。基本的ン合えば話すことは学生時代と変わってないのですが、お互いそれぞれがそれぞれの経験を積み重ねているので、そのレベルはどんどん上がっていきます。そして現在、お互いヨーロッパの音楽界の現状に直面しているわけですが、気の重い話が多い…。


今回一番そうだったのが、現在のオペラ界の現状でした。近頃、オペラ指揮者&コレペティトアのレベル低下が致命的で、そして指揮者=音楽レベルが下がった結果演出面が表に出て来るようになったが、音楽を分かっていない演出家が多く、オペラなのに芝居的になって来た結果、オペラ界全体が壊れてきているということ。


まずは音楽面から。簡単に言うと、オペラのちゃんとした下積みや修行をしてない者、すなわちコンクール指揮者等がいきなり劇場指揮者になるようになり、要するにオペラを知らない(振れない)指揮者が急増し、その部下の指揮者とコレペティトアもそういう指揮者が選ぶ。本物が瞬く間に消え失せていく。ベテラン歌手はともかく、若手歌手は世に出て来て最初に出会う指揮者らがこれなので、こういうものと思い込んでしまう。となると歌手のレベルも比例して落ち続けると言うもの。ベテラン歌手はこの現状を嘆いています。


演出面。そもそもオペラとは作曲家が残した音楽作品であり、そこに舞台的要素を付け加えることにより舞台作品となりえるわけで、ヨーロッパではこの基礎は揺るがない。しかし、前記の音楽レベルの低下が起こり続けているため、いくらこの基礎が揺るがなくても弱くはなり、結果土台がないまま演出面の比重が増えてしまう。これではオペラにはならないわけである。そして演出家が音楽を分かっていればいいが、そうでない場合はオペラを芝居としてやろうとするとんでもないことになってしまう。ゆえにオペラがどんどん低レベルで奇妙なものになっていく。


これを打破するには、やはりちゃんとして本物のオペラ指揮者の再誕生が必要である。演出家はこの現実を受け、音楽を壊さぬよう、オペラの存在意義を再認識すべきである。例えば日本の場合はこの音楽面が元々なくいきなり演出面ばかりが出て来て、目に見える形(芝居)が好きな日本人の間ではオペラ=芝居となってしまった。これはある意味どうしようもない民族せいかもしれないが、ヨーロッパではオペラ=音楽で今もなくなったくぁえではない。今後どうなっていくか心配ではあるが、しかし厳しくいかねばなかなか難しい問題である。