Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

不思議な一言

日本の音大時代の話である。当時声楽科の学生だったのだが、声楽科の友達の伴奏をよく引き受けてやっていた。最初にやり始めたきっかけは、伴奏者の見つからない友達に相談されて、それなら自分が弾こうか?というのが始まり。門下発表会の伴奏だった。実は小学校の頃から合唱コンクールや卒業式等の伴奏は何度もやったことがあり、伴奏することは好きだった。ゆえにそれなりにできる自信もあった。しかしこれがきっかけとなり、その後永遠続くとは当時は考えもせず…。


結局伴奏者としての活動は卒業するまで続いた。多い時は1つの演奏会で数人伴奏を掛け持つこともあった。そしてその流れで学外の演奏会でも弾くようになった。声楽家の学生でありながら、歌う回数よりも伴奏の回数の方がはるかに多かった。学生時代の演奏回数のほとんどが伴奏だったわけである。声楽科の学生は伴奏者探しに苦労することが多い。簡単に見つかる場合もあるが、見つからない人はなかなか見つけられなかったり、または相性が合わず伴奏者を変える場合もある。ピアノ科の学生も、積極的に伴奏をやる人から、伴奏が嫌い&興味ないなどで一切やらない人までさまざま。伴奏者との出会いも縁の話である。それゆえに、声楽科の学生でも自分のように伴奏ができる&やっていると知られると引っ張りだこになってしまうこともあるわけである。多くの声楽科の仲間に言われたのが、声楽家の方が歌のことをよく分かっているから歌いやすいと。それが理由で結構使ってもらえた。日本の音大在学中、声楽に始まり、気が付いたら金管楽器の伴奏まで何人かやっていた。最終的に卒業試験でも何人も伴奏していた。


大学に入る直前から声楽に並行して指揮の勉強も始めていたのだが、今思えばこの伴奏者としての活動が自分の基礎になった。声楽科の学生だったということもあり、先輩から学生オペラの副指揮などの機会を何度か頂いたが、当初は全然歌に合わせて振れず色々大変だった。が、伴奏を永遠やっていたお陰で、徐々に合わせると言うアンサンブル感覚が培われた。伴奏こそが自分の原点である。しかしながら、当時は自分が将来コレペティトアになるなんて考えもしなかった。というのも、伴奏はそれなりの数やってはいたが、ピアノ科じゃなかった自分はピアノの技術には大して自身を持っていなかった。後に留学して指揮科&コレペティ科に入ってピアノの技術がコレペティには大事ではないと知るわけだが、当時はそんな知識はなかったし、それより何よりある程度以上の難易度の曲を弾く、すなわち難しいヴォーカルスコアを弾くということが自分自身にイメージできなかった。と、そんなある日不思議なことが起こった。


当時専属で伴奏していた同期の声楽科の友達(ソプラノ)がいた。彼女の伴奏は門下発表会、学外の各種演奏会、個人レッスン、オーディションなど多岐にわたっていた。ある日彼女の個人レッスンの伴奏に行った時である。その先生はベテランで、確かすでに退官されて名誉教授になられていたような頃だったと思う。その先生のレッスンは何度か行き、自分の伴奏を気に入って下さってとても大事にして下さっていた。で、ある時先生は自分にこうおっしゃった。「君は歌のことを分かって弾いてるから、コレペティトアになったらいいんじゃないか?」と。前述の通り、当時の自分は指揮者は目指していたもののピアノにそこまで自信がなくコレペティトアに何てなれるわけがないと思っていた。ゆえに先生のその発言にはびっくりと言うか、むしろ言葉は悪いが真に受けなかった&相手にしなかったような感じだったことをよく覚えている。もちろんベテランの先生のお言葉はありがたいのだが、しかし当時はさすがに受け入れきれないものだったわけである。何より意外過ぎて不思議だった。


それから数年後、留学して指揮科へ入学。その1年後、再度入試を受けコレペティ科にも在籍した。そして今、オペラ指揮者&コレペティトアとして活動している。どういうわけか、その先生が言われた通り、望まれた通りになったわけである。コレペティトアを本格的に志した理由は色々あったが、しかし最初は全く考えもできなかったその道になぜか行ってしまった。さらに言うならば、その先生は本当に自分をよく見て下さっていた、いや、何かが見えていたのか感じられていたのかもしれない。


その友達の伴奏はその後しばらくして辞めたのだが、それ以来その先生にはお会いできていない。またお会いできることがあれば是非当時のことを聞いてみたい。そして何より、自分の今を報告したい。きっと心から喜んで下さるに違いない。うまく言えないが、その先生には今色々な意味で心から感謝している。