Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

真実とは

クラシック界は謎な世界である。それはその場所と時代の社会が反映している。クラシック界独特のキャラクターはあれど、所詮人間のやることである。コンクールという裏ビジネス、演奏家採用にまつわる裏ルートと人種差別、人間界ではある意味仕方ないことではあるが、大抵の場合この現実に直面する。


例えば日本、型にはまることが一番正しく人の道とされて来ていて、そこにはまる者が評価され出生する。それでいて、年齢が行けば実力や実績に関わらず偉くなるという。ゆえに、何が正しいか、間違っているかではない。個人レベルの問題ではあるが、地位のある者や年配者にこの傾向が強い。日本はほぼこの枠の中でしかない。そして彼らの特徴は、人の話を聞かないということ。自分は年齢がいっているから、地位があるから、理由はそれだけである。さらに、彼らは若者や地位の低い者に対して決まって人の話を聞けという。完全に自分を棚に上げている。かつて自分もそうされて来たということだろうが、必ず嫌な思いをしてきたはずだが、しかし自分もそうやるようになってしまっているという。日本独特の軍隊の時代から来ている洗脳教育であり、そして現実と闘わずに逃げると言う人間の弱さから来ている。しかしながら、最近はそれもある意味崩れかけようとしえいるところもあるようだ。誰とは言わないが、最近日本でもそれなりに地位のある年配者等が色々と大問題を起こしている。そして皆嘘をついたり、人に擦り付けたり、とにかく逃げる、話を逸らす。そしてやはり人の話を聞かない。


これら社会の問題は、当然クラシック界にもそのままである。世の中には確かに真実はある。しかし、真実が通るとういうことはほぼない。現実を見ない、人の話を聞かない、日本的に言うならば年齢や地位を理由に自分本位に進めようとした結果人に、さらには社会に迷惑をかけてしまっているという。自分は常に人の話を聞くように心がけているが、よく人の話を聞けと言われる。そう言って来るのは大抵年配者等であるが、しかしそういう者達は明らかに自分の話を聞かない。人のことを言う前に自分は?ということだが、この辺が日本の悪いところであろう。年齢が上ならそれでいいか?ありえない。それを理由にするというのは単なる弱く逃げてる者に過ぎない。日本では年齢が上なのは絶対的とされてきていたが、しかし現実はそんなに甘くない。年齢がいっていても、分かってない奴は分かってないし、できない奴はできない。ある程度大人であれば、その人がどういう人生を歩みどういう能力をもっているか、それに尽きる。それでいつまでも自分が年上だから、というのは単なる敗者でしかない。


こういう発言は日本では未だに批判を受けるだろうが、しかし現実はそうであることを認めねばならない。ましてや西洋音楽をやり外国へ出ようと言う者であればなおさらである。ヨーロッパではこういった理屈、年齢や地位、全く通用しない。例えば、年齢は全く関係なく人と人、地位は役割分担に過ぎない。年齢で差をつけるというのは、完全なる上から下への抑え込みでしかない。人と人は対等でなければまず話し合いにならないし、本質的に通じ合うこともない。そして信頼関係と言うのは、仮にそれがそれが年齢が違う師弟関係であっても、最終的には人と人とのつながり、すなわち弟子が師匠を尊敬し認め、師匠が弟子に愛情をもって接することである。そろそろ日本も年齢や地位といった型を省かないと、限界が来ているように思う。