Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

表記の順番

オペラの案内、すなわちチラシ、プログラム、年間スケジュール等、世界的に伝統的に決まっている書かれる順番がある。まずは当然オペラの演目名、ここには言うまでもなく作曲家とセットで書かれる。まずはこれがないと話が始まらない。そしてその下あたりに小さく台本者などの名前が添えられる。その後当然日時や場所が書かれ、そして出演者や関係者(スタッフ)等の名前になる。この書き方=順番こそが伝統的に決まっている定型がある。まずは誰が何と言おうと指揮者、そして演出家である。この2トップが一番上に書かれること、そして指揮者→演出家の順番で書かれること。これが何より絶対的である。その後舞台監督、装置、美術、合唱指揮などが書かれるが、この辺の細かい順番は劇場によってさまざまである。またそれらを後に述べる裏方スタッフに書くこともよくある。その後出演する歌手陣、当然主役に始まり脇役に至る。黙役やソロパート付きの合唱団員の名前等も最後の方に書かれる。そして当然オーケストラ&合唱団名も書かれる。その後は裏方スタッフである。主要な役職から小さな役職の順番に書かれる。基本的に音楽スタッフ→舞台スタッフの順番で書かれる。その他、オペラの解説や出演者のプロフィールとなるわけである。


この定型がなぜこうなったかは、一言で言うとオペラだからである。もしこれが芝居や音楽付きの舞台作品であれば、書き方は演出家→指揮者、舞台スタッフ→音楽スタッフの順に書かれるであろう。しかしオペラは芝居の要素はあれど基本的には音楽作品であるため、やはり音楽がまず重要視されるため、音楽的部分から先にかかれるわけである。宣伝方法の一つとして演出部分を表に出す劇場もたまにあるが、その倍は指揮者を筆頭に音楽部門を下げるような表現や扱いにはならないようにされているし、その前に音楽が中心なことは分かり切っているのでわざわざ過剰に意識する必要もないわけである。この音楽中心と言うのはオペラの場合本当に重要である。芝居部分を主に受け持つ演出家も、一流になれば当然このことを大前提とするので、決して音楽を壊さない演出をする。過剰に演技を強要する演出家、オペラを芝居としてやろうとする演出家も実は少なくないが、やはりオペラは音楽が支配していて舞台作品である以前に音楽作品、その辺を分かった上でさらに効果的な舞台や演技を作り出せる演出家こそが最高な演出家である。個人的にもそういう演出家に出会いたいと常に思っているし、もし出会えたならば最高の敬意を払いたいと思う。当然ご一緒したいと思うのは言うまでもない。


ところが、今日の日本ではこの定型、すなわちオペラに対する認識が真逆になっているようである。紙面上では、一応基本的にはこの定型は存在しなくはないが、近頃多くの場合指揮者ではなく演出家を、音楽スタッフではなく舞台スタッフを先に書くものを極めて多く目にする。また立場もそれに比例し、オペラの現場において音楽人の地位は相当低いものとなっている。表記の仕方はその考え方や認識の結果論となって表現されている。当然多くがオペラ=芝居と認識し実践している。もしオペラの舞台に立つ者が役者ならば自然であるが、オペラの舞台に立つ者は声楽家=演奏家である。もちろんオペラには演技が必要ではあるが、その前に音楽が何より最重要である。ある巨匠(オペラ指揮者)がこうおっしゃった。「オペラの演出は音楽にそってなされるべきである」と。これは終えpらそのものである。それを逆にしてオペラとは芝居であるとしてしまうことは、オペラという西洋の歴史に歯向かうことになってしまうし、そこまで大げさでなくても少なくともでたらめになってしまう。話を戻すと、表記の仕方にそういった認識が現れていて、さらには意識レベルが現れてしまっているように思う。決して演出面を軽く見ているわけではないが、オペラとはそういうものである。


それがものすごく現れている現実を一つ上げる。オペラの現場には指揮者と演出家という2名のリーダーが存在する。本来は2本柱で協力し合って作り上げていくものである。実はこの指揮者と演出家の関係というのは非常にデリケートなものである。それらは話せば長く複雑なので機会を改めるが、理想はこの2名に共同制作による歌手&スタッフ陣との共同作業である。ゆえに音楽を作る指揮者、舞台を作る演出家、欠かすことのできないリーダーでどっちが偉いではなく、それぞれの役割をこなして協力すべきである。が、日本のオペラの現場において、この2者の立場はには少なからず明らかな差がある。表向きにはいずれもトップ的な言い方がされてはいるが、実はそうなってはいない。もちろん人にもよるのだが、演出家には独裁的でかなり強烈な言い方や態度の方が昔から非常に多い。反面指揮者は、全くいなくはないが演出家のそれのような者は極めて少ない。というのも、演出家はどんな暴言を吐いても皆必死に従うのに対して、指揮者は一度でもそのようなことをすると、指揮者が切られてしまうケースが多いのである。これには大きな矛盾がある。前述の通り2トップと言われていながら、この扱いは全くつじつまが合わない。決して指揮者が暴言を吐いていいと言うわけではないが、演出家が同じ扱いでないことから、明らかに演出家>指揮者という認識が存在している。裏方もそうである。舞台&演出スタッフ>音楽スタッフである。比例して、出演者らも当然演出家&舞台スタッフを中心に考えている。その証拠に、民間オペラ団体を筆頭にオペラプロジェクトを立ち上げる時、まず舞台&演出面から考え始めて準備し、当然そこに多くの予算をかける。最後にやっと音楽面の段取りをし始め、残った予算でやる、すなわち一番予算カットすべきところとしている。ゆえに、音楽チームのレベルと人材にまともに影響が行くし、さらにはオペラに携わる音楽人が育たないわけである。本来音楽作品であるオペラでこのようなことをし続けてると、オペラのレベルは上がるわけがない。上がらないだけならまだいいが、さらに間違ったものになり取り返しがつかないことになっていくのである。しかしこれらは民族性や文化など色々な問題が関わっているので一概に言えない難しい問題でもある。


紙面上にどう表記されるか、一見小さいことのようで、その理由を掘り起こしていくとこのような極めて重要かつ深刻な問題が浮き彫りになっていく。しかしながら、このことに冷静に気づき謙虚になれる者が一体どれだけいるか?それが大事であるが、一番難しい問題でもある。というのも、芝居大好きな日本人ゆえにである。やる者は芝居としてやりたいし、聴衆も芝居として見たいのである。ゆえにオペラを無理矢理芝居化した方が日本国内ではビジネスとしても成り立つわけである。その日本独特の文化や民族性を否定はしないが、もし日本のオペラが世界へ目線を向けた場合、それではどうしようもないわけである。やる者としてはどちらを選ぶかは個人の自由であるが、純粋に謙虚に本来のオペラを目指す者に出会えたならば、ヨーロッパで学び活動するオペラ指揮者&コレペティトアとして精一杯できることがあればしたいと思う。自分は日本独特ではなく本場の本物を目指した者である。それゆえに国内では正直困難が常に付きまとう。残念ながら自分にはその日本独特なものはできないが、しかし数は少なくとも本物に目を向けている方々もいないわけではない。ある意味狭い範囲かもしれないが、そこでできることを地味でもやり続けていく、それが自分のやるべきことだと思っている。