Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

合わせる方法

もう9年ぐらい前のことだが、某著名奏者と指揮者について話したことがある。この奏者の方は世界的に優秀な方で、いくつかのメジャーオケを歴任され、その後教授になられた方。ある時話が弾んで多くのことを話し、たくさんのことを学ばせて頂いた。


そんな時、指揮者についての話になった時である。その方がおっしゃるに「多くの指揮者は合わなくなった時に自分に合わせるように指示を出して振るが、ほとんどの場合うまくいかない。むしろ悪くなる時もあるぐらい」と。その時ふと思って自分はこう切り返した「それは自分に合わさせようとするから逆に合わなくなるのでは?アンサンブルは結果合えばいいわけで、その為には自分に合わさせるというのも確かに一理あるが、それはあくまで簡単な修正の話で合って、ある程度の問題の時はむしろ指揮者がプレイヤー同士が聴き合うとか呼吸するとかの宝庫へ導く方がはるかにいいのでは?」と。するとその方は謎が解けたと言わんばかりに「なるほど!確かに、結果合えばいいわけで、我々は皆アンサンブルしているわけだからなあ。指揮に合わせるだけが全てじゃないし、それはあくまで一つの方法であって、柔軟な対応ができる指揮者がいいアンサンブルをる来るんだよなあ」と。


この指揮に関する会話は時間にして大して長くないものであったが、この短い中に多くのことが凝縮されている。確かに多くの指揮者は力んだり強がったりして自分い合わさせようと必死になることが多いが、しかし仲間と共に合わせる=アンサンブルをするということはそういう問題ではない。残念ながら指揮者という人種を嫌うプレイヤーは少なくない。これがそれの大きな理由だと思う。指揮者はリーダーであるからもちろん自分から積極的に働きかけねばならないが、その前に人を仲間を認める、受け入れる、さらには尊敬する、そういったことの方がまず大事なのではないか。それがなくひたすら自分からだけの一方通行では、プロが仕事と割り切れば仕事ぐらいはできるかもしれないが、しかし決していいチームにはならない。


これらを音楽的に言うならば、指揮者の棒だけに合わさせる、強引な話メトロノーム的に合わせる、だけでは多くの場合不十分だ。状況や理由は様々だが、その場に応じて例えば呼吸やブレス、例えば誰かと誰かが聴き合うなど、色々な合わせる方法があると思う。さらに言うならば、アンサンブルはもちろん皆で合わせるものではあるが、我々の第一の目標は音楽をすることである。指揮者がムキになって振って合わせたところで、仮に完璧に縦が合ったところで音楽にならなければ全く意味がないわけである。それよりかは会にズレてでも音楽になっている方がはるかにいいし、むしろそれが必要である。


コレペティトアの作業は音楽的な段階に到達する前、すなわち譜読みやするふぇーじゅ的要素も入って来る。そんな時には正直こういう次元までではなく、正確にさらう必要がある段階である。しかしのちに音楽作りにおいてのこれらを知っておけばさらに深みのあるコレペティができるわけで、伴奏者兼任のコレペティトアは実際の伴奏合わせや演奏にそのまま役に立つわけである。