Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

メトロノームとは

練習時に利用されるものであることは、これは良くも悪くも色々な使われ方がある。元々はベートーヴェンの友人であったメルツェルが発明したもので、それなりに歴史はある。しかしこれがある程度浸透するまでには時間がかかった。楽譜の最初に♩=〇〇、という表示をよく見るが、実は作曲家がこれを普通に表記するようになたのは20世紀ぐらい以降であろう。それまでは皆無ではなかったが、何曲かだけ表記するにとどまっている。これは要するに、音楽を数字で表すということが不自然であったからであろう。添付とはやはり感覚的な者であり、それが音楽になりえるわけであり、多くの作曲家はあまり興味も有効性も感じなかったのであろう。音楽は全く数学ではないという実例である。


しかしながら、こんにちはある意味多用されている。基本的には練習時の機械としての機能が高い。確かにテンポが安定しない時などは適度に使えば効果的であろう。しかし音楽(演奏)になった場合は即離れるべきであろう。しかし日本ではアンサンブル時もある意味最重要として扱っているケースが多い。というのも、日本では縦を合わせることが何より大事だからである。これは日本人の性格や民族性から来るものであるが、世界的に見ると異常なまでの執着である。音楽よりなによりまず縦、話はそれから、である。ヨーロッパにはない発想である。かつてある友人伝えに聞いた話にこういうのがある。ある方がヴァイオリンで音大を目指していたが、高校の時ぐらいのその師匠がその生徒にこう行った。「あなたは音大への道をあきらめるべきだ。テンポがどうしても安定しない。なぜならメトロノームは神様だから!」と。要するに、テンポが機械的にはまらないのは論外というわけである。将来的に日本のみでやっていくのであれば、ある意味大事なことかもしれないが、しかし純粋に音楽的視点で見れば明らかに…。


縦を合わせる、すなわち形、これは音楽ではない。過程の中の一部分ではあるが、形を作ることは基本的に音楽ではない。なぜなら音楽は姿形のない目に見えないもの、感覚、精神、自然など。強引に言うなら、それをあたかも形があるかのように聴かせるのが演奏である。さらに、感覚というのは人間誰しも持っているもの、見には見えないが感覚や精神に常に嘘はない。要するに音楽は形がないからこそ本物であり真実である。形あるものは本物と偽物がはっきり見分けられるが、音楽は嘘はつけない者である。仮に嘘をつけば、それは単に価値のないものとなる。


メトロノームは練習用のマシーン(機械)、そしてある程度の基準等である。決して音楽ではないし、音楽をそれのより形作るのは音楽ではなく数学である。特に指揮者を筆頭に数学的要素を出すと喜ぶ者もいるが、その辺は考え改めるべきである。