Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

衝撃的現実

留学中の話である。某イタリア人の指揮者が学生オケの指導に来られた。この指揮者はすでにいい年だが、かつて一時代を築いた方である。練習を何度か見学に行き、その期間中指揮科の特別レッスンもして下さった。厳しい方だったが、熱心であった。しかし残念ながら学生からの評判は悪かった。今思えば、レベルが高すぎて誰も彼のことを理解できなかったのではとも思うが、いずれにせよ、オケの学生からも指揮科の学生からも理解されなかったのは事実だった。


あるオケの練習時、彼はオケのこう言われた。「ちゃんとテンポとリズムを感じるよう!自分(指揮者)の手の動きはメトロノームではないので!」と。当たり前のことである。誰もメトロノームのつもりで振ってない。もちろん必要があれば部分的にそうすべき瞬間はあるが、あくまで仲間と音楽を作ることが目的で振っている。誰もメトロノームになるために、長い年月修行する者はいない。基本的にはそうである。まあ、メトロノームにしかなてない者、メトロノーム以下の者が存在することも事実だが…。反面、メトロノーム的、技術&理論的な者は指揮科ではなぜか好かれる。そういうタイプが集まってる世界が指揮科でもある。もちろん、オケから好かれるかどうかは全く別だが…。むしろ嫌われるが…。


話を戻して。彼の発言は当然と思って聞いていたし、今更言うようなことかと個人的には思った。しかし、その練習後に衝撃的発言を耳にして相当ショックを受けてしまった。某日本人留学生がその指揮者のその発言に対して「はぁーっ!?」と。要するにその留学生は、指揮者の動きはメトロノームでしかないと言うのである。その場にいた若干名も同調した。皆ではないにしても、日本の音楽学生(ひょっとしてプロも?)には、指揮者=メトロノームと思い込んでいる者がいるということを初めて知った!しかも指揮科学生の自分にそれを平気で言えることがさらに驚きである。あたかも、「お前、当然メトロノームになるために勉強(留学)してるんだよなあ?」と言わんばかりに。当時はあまりのショックにさすがに反応のしようがなかった。


はっきり言って、よほど鈍い人でなければ、メトロノーム通りに振るだけならある程度練習すればできる。これは大して難しいことではない。しかし、音楽を作る、すなわち演奏として指揮をするのは全く話が違う。メトロノーム通りに振るだけなら、メトロノームに合わせて練習して、伴奏(ピアノ&オケ)相手に皆をメトロノーム通りにはめる実習をし、後はひたすら機械的に弾くピアノのレッスンを受け、ソルフェージュの授業だけ受けていればいいということになる。ここまでも必要ないかもしれない。しかし実際は、音楽とは何か、その為にどういう風に楽譜を読むか、などなど色々あり、それに伴う人生経験も必要である。指揮の修行を少しでもした人ならその広さ、多さ、深さは少なくとも想像つくであろう。


指揮者は演奏家でも表現者でもある。決してメトロノームということはあり得ない。指揮者にとってメトロノームとは、あくまで練習の技術の一つに過ぎない。これは全演奏家に言えることでもあるが。そして、メトロノーム的指揮者は極めて非音楽的であり、オケとの共存は基本的に不可能である。


コレペティトアは練習の最初の段階においてメトロノーム的役割を担うことが多い為、確かに傾向としてメトロノーム的になりやすい。それは歌手の為とされている。確かに必要なことではあるが、本来歌手は誰よりもそれを嫌うわけである。個人的には近頃のコレペティトアの多くはその要素が過剰すぎると思うが。


指揮者もコレペティトアも、今日ほとんどが歌手をメトロノーム的にはめ込むことが正しくて、それこそが努めと思っている。ゆえに、指揮者&コレペティトアが審査をする採用試験やコンクールでは、メトロノーム的な者が通りやすい。さらに言うならば、歌手をメトロノームにはめ込む練習をした者が評価されるわけである。ゆえに、音楽的で歌手のことをわかっている指揮者&コレペティトアは、歌手らからは必要とされるのに、審査には通らないのである。採用試験では不適任とされ、コンクールで歌手に対する指揮の審査では、足りない、間違ってる、合ってない等の評価が下される。元々いいオペラ指揮者とは劇場からの叩き上げでコンクール指揮者ではない。指揮者コンクールとは基本的にシンフォニー指揮者陽成所であり、劇場とは別世界である。そのシンフォニー指揮者が審査するコンクールで、普通のオペラ指揮者が普通のオペラ指揮をしたところで…という話になる。しかしながら、近頃はそのコンクール指揮者がいきなり下積みなしに劇場指揮者に簡単になれる時代になって来ており、本物のオペラ指揮者がどんどん激減している。これは世界の指揮者の世界の危機をあらわしている。コンクールが盛んになって来たのがその主な理由であろう。その為、指揮科も、近頃以上に数が増えて来た指揮の講習会やマスタークラス等も、皆コンクール型教育になってきている。そのため、長い年月を要する劇場叩き上げ方面へ進む者は面倒くさがって激減し、行ったところで、叩き上がってないコンクール指揮者の下につくことになり、ゆえに本来の叩き上がり方にならないわけである。この悪循環をどうするか、正直どうしていいか分からない。ただ個人的な願いとしては、数は少なくとも、世間から弾かれやすくなろうと、本気でオペラ指揮者になりたいと思う者はその道を究めて欲しいと言うこと。もちろん自分も例外ではない。いつか必ずどこかで必要とされる時が来ると信じているし、そういう本物こそが全てを救えるはずである!