Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

理解不能な傾向

とある有名指揮者のマスタークラスの書類&ビデオ選考に応募しあ事がある。設定上ハイレベルなため受けるのにはオーディションが必要とされた。こういったオーディションから採用試験に至るまで、実力の基準として指揮科卒業と書かれることがある。しかし実際は絶対条件ではなく、単なる基準に過ぎない。しかしこのマスタークラスのオーディションは違った。必要書類を提出したら返信が来て、卒業証明を出せと。世の中には学歴にうるさい人は確かにいるが、このような公の場で、しかもはハイレベルな設定、さすがにびっくりした!正直、ハイレベルとはその有名指揮者の名前そのものだけで、主催者は低レベルに思えたからだ。


世の中どんなジャンルでもそうだが、学歴=実力では決してない。ましてや音楽なんて形のないものは尚更そういった形では判断できない。特に指揮者は全演奏家の中で特に経験が必要とされるわけで、学歴、すなわち指揮科を出てるかで実力が決まるわけがない。むしろ歴代指揮科を出てない指揮者の方がいい指揮者ははるかに多いし、近頃は指揮科卒の方が問題が多い。


話をそのマスタークラスに戻して、結論から言うと、自分はグラーツ指揮科に留学していたが卒業はしてない。ゆえに卒業証明として出せるのは日本の音大の声楽科ということになる。このマスタークラスではそれでも申し込みは受理はされた。しかしひょっとしたら指揮科ではなく声楽科というのがマイナスになっているかもしれない。


というのも、今まで声楽科出身というのは指揮者としてプラスになったことがない。それどころかほぼ確実にマイナスになる。この経験を喜んでくれるのは歌手だけである。特に指揮者はこの”声楽”を嫌がる。主な理由は、まずほとんどの指揮者は声楽についてほとんど知らないし興味がない。それから、ほとんどの指揮者は何かしら声楽家を下に見ている。それゆえに、例えば自分のような指揮者が声楽をよく理解してたり、声楽家にウケる何かを見せた時、ほとんどの指揮者は何やってるか分からず何それ?となるかあからさまに嫌がる=見下げるのいずれかである。


オペラ指揮者となれば声楽を扱う部分が非常に多い。それなのにこの現実。恐らくかつての巨匠にはもっと変わってらっしゃった方々がいたのであろう。しかし今の時代、少なくとも自分はそういう指揮者に出会ったことがない。というより、その部分に関して批判されなかったことはない。しかしはっきり思うのが、自分のような声楽をもっと理解した指揮者こそオペラ界に必要で、そういう者が確実に一番いいオペラ指揮ができるはずである。残念ながら今はそういった者はほとんどやらせてはもらえない。なえなら、それは多くの場合間違え、レベルが低い、などとされているからである。


声楽を専門的に知った者&ちゃんと指揮を勉強した者、この両要素が合わせった指揮者こそ真のオペラ指揮者であろう。自分それを目指してやってきたし、これからも。もし自分の人生に一つだけ使命があるとしたら、これである!