Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

外人音楽家が日本人へ言ってはいけないこと

最近ある記事で某著名な作曲家で指揮もしているヨーロッパ人がインタビューを読んだ。彼はこう言う。「全てにおいて理論が全ての基礎」と。この発言、絶対に外人から日本人へ一番言ってはいけない、言って欲しくない言葉である。


ヨーロッパで生まれた音楽、その伝統や神髄、ヨーロッパ人は血で持っているとこころがあるし、生まれた時からまさにその環境で育って来ている。ゆえに、音楽的なことはよほど変なことをしない限り自然にやていれば多かれ少なかれというところはある。要するに必要な理論と技術を身に着ければそれなりに対応できるわけである。もちろん個人差はあるが、基本的にこういう人種である。しかし日本人はと言うと…。元々地でも経験でも持ってないもの=西洋音楽をやるには、まずはその感覚を知らねば当然ヨーロッパ人のそれには追いつけないわけである。これこそが音楽の本当の基礎である。がそれを持たない日本人がいきなりそのヨーロッパ人の言葉を信じて理論や技術から入ると、中身の何もない単なる形だけの図形状態にしかならない。確かに訓練の過程においては理論も技術も基礎とはいえるが、音楽をやる上でそれは基礎ではなく後付けである。音楽に感動しやりたい音楽があるからこそ、理論を学ぶ、技術を磨くわけである。


ヨーロッパ人と日本人ではスタートが違う。ゆえにヨーロッパ人の言葉を真に受けるとほとんどの場合日本人はうまくいかない。そういったヨーロッパ人にとってアあり雨のことは当たり前すぎて、それがない日本人らのことをヨーロッパ人はあまり知らない。ヨーロッパの教授らは日本人にもヨーロッパ人と同じように教えてしまい、生真面目な日本人は本場ヨーロッパの教授の言うことを信じ込んでしまう。ゆえに中身がないのに器用な日本人は真似だけになってしまう。このようなことを理解して音楽と向き合わないと、せっかくの時間も動力も全て無駄になってしまう。


前記の某ヨーロッパ人は主に作曲家と指揮者について理論が最重要と言った。そもそも作曲家と指揮者は真逆の人種。彼は基本作曲家で、自分の曲を振り出したことから指揮活動もするようになった。言わば純粋な指揮者ではない、作曲家である。多くの場合、演奏家でない作曲家が指揮すると演奏にならないことがほとんどである。なぜなら、自ら音楽を想像する人種が人の曲を演奏するというのは専門外である。演奏することも専門でなければ人の曲を解釈することも専門でない。個人的には作曲家のことはこれ以上分からないが、しかし指揮者について、理論が最重要基礎と言うことは全くない。指揮者は自ら音は出せないが演奏者である。演奏する上で、理論が先に来ては演奏にならない。音楽を感じること、解釈すること、演奏すること、これらは皆理論でも技術でもずべてやりきれない。まずは音楽という感覚が最重要である。