Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

カタカナ表記

外国語の単語から人命に至るまで、カタカナ表記には限界がある。はっきりいって正確には再現不能である。しかし大事なのは、そのカタカナを日本人が普通に日本語読みした時に、いかに原語の正しい発音に近くなるか、という前提で表記する必要がある。このようにより正確な発音をすることは我々音楽家にとっては音楽そのものであり重要である。一般の方々には理解が難しいかもしれないが、必要不可欠なことである。


しかしながら、西洋の音楽とも原語ともかけか離れた島国で全く違う言語を話す我々には、その感覚を理解するというのは難しいものである。やはり現地へ行き限りなく謙虚に学ぶことが何より一番だが、しかし現実はそうはんっていないところが多い。外国語のカタカナ表記は、実際のところかなり日本語化され日本人の都合に合わせた発音に借り換えられていることがほとんどである。例えば作曲者名、ワーグナーのワは無理やりカタカタで書くとヴァに近くなる。ドヴォルザークのルザは実際は混ざって同時に発音されるのでカタカナでは書き表せられないが、一応はドヴォジャークと書くのが一番近いとされている。同じくチェコの作曲家のフィビッヒ、ネット上にはフィビフやフィビヒと書かれているが、日本人(語)特有の癖が出た明らかな間違いである。これらを日本語読みすると明らかにおかしくなり、フィビッヒと書いて読むのが一番原語に近い。このようなものが非常に多い。やはり謙虚に原語に学ばねばいけない。


ところが、このように明らかに間違った表記が日本ではすでに常識となってしまっている場合がほとんどである。特にネット上に書かれてしまうと難しい。酷い場合は、ネット上に個人的都合で理屈付けた説明で日本語化を促進しているものも少なくない。日本人らしいと言えばそれまでだが、音楽に携わる者はこれではだめである。そして国際社会的にも問題である。そして、日本では”出典”が強いようである。ネットを中心に、真実であることよりも”出典”があることが大事という理不尽が多発している。日本のものならともかく、外国語は前期の通りカタカナで再現不能なわけで、そういうものに日本語の出典もクソもないわけである。例えば発音記号、これ自体は国際的出典なわけだが、それを日本人が日本人の都合で日本語発音で読んでしまっては、いくら出典が権威あるものでもその瞬間全く無意味になってしまう。外国語に関してはやはり現地の発音を学ぶべきであり、出典を信じてはいけない。


とは言え、日本国内でのことであればそのぐらい大したことないとほとんどの人が思うかもしれない。しかし、ヨーロッパを中心に国際t系に活動してみたからわかることだが、発音はものすごく大事である。大したことないなどということはない、むしろ最重要なぐらいに思ってちょうどいいぐらいである。それゆえに、自分は原語に忠実な発音を常に心がけているし、周囲に間違っている者がいれば説明し変更してもらうようにしている。特に自分が演奏する曲の場合はそうである。ヨーロッパでやらせてもらている者として、やはりうそを伝えることはできない。そういった経緯を忘れではいけない。


謎のテンポ

日本でも有名なミュージカル”エリザベート”、この中で一番有名な曲がIch gehör nur mir(私だけに)という曲であろう。自分は学生時代の音大生自主公演ミュージカルでこの作品の副指揮をしたことがあり、また国内外にて稀にこの曲を歌いたいソプラノ歌手のコレペティ等をすることがった。しかしそこでものすごく謎なことがある。


この曲はエリザベートが自分の人生について歌うもの。比較的サラッとしたテンポでsemple parlareである。どこの誰の演奏を聴いてももちろんそうで、大体皆ほぼ同じテンポになる。というよりそうにしかならないと言った方がいいであろうテンポが存在する。しかし、これをソプラノ歌手(声楽家=オペラ歌手)とやると、なぜかそのテンポを強烈に拒否する者が存在する。自分はその上記のテンポでまず前奏を弾き始めるが、そうすると「何そのあり得ないテンポ?」みたいになる。そしてこの曲のテンポを実物の倍ぐらい、いや倍以上遅いテンポと思い込んでいるようである。CD等のマネやそれを参考にした勉強の仕方はよくないが、しかしまず曲を知るためにCD等を参考にするのは普通のことであり、最低限度そうしていればそういうテンポ間の認識になるのはあり得ないことであるのに、なぜかそうなる。皆が皆そうではないであろうが、しかし声楽家=オペラ歌手のソプラノに限ってたまにそういう人がいる。


何人かそういうソプラノがいたのだが、コレペティ&伴奏した結果感じたことは、彼女たちはどうもしっかりと声を出して&伸ばしてたっぷり歌おうとしているようである。声楽家的とも言えるかもしれないが、しかし前記の通りそういう曲ではない。原曲を知ってる方は言うまでもなくご存じと思うが、前期の通りsemple parlareで、たっぷりなめらかに歌う曲ではなく語り調でむしろしっかり訴えるように話すような曲である。この時点で解釈すのものがおかしいことになるが、しかしその声楽的感覚を考慮したとしても、明らかにそのように歌っているCDも上演も存在しないわけで、どこをどうしたらそういうテンポになたのか?正直全く理由が分からず謎である。


というわけで、長年の謎を書いてみたわけでしたw


言い訳と現実

ここでも何度も書いてることだが、日本のオペラは過度な演技重視、オペラを芝居として考え行っている。本来オペラとは舞台作品である以前に音楽作品であり、行う者も役者や俳優ではなく歌手=演奏家=音楽家である。演技も重要ではないとは言わないが音楽以上に重要でそれがメインということはあり得ない。しかし、最近とある日本人の若手声楽家がこんなことを言っていた。


「日本のオペラは演技重視なんじゃなくて、音楽練習でやったことを演技を入れると忘れてしまうと言った方が正確」と。


まず単純に、色々な人の色々な見解があるとしても、これも一つの現実であろう。要するに、起こっていることに気づいていないわけである。たまたまその方がまじめに音楽に取り組んでいるのかもしれないが、明らかに日本の傾向は演技重視、これは紛れもない事実である。実際に、オペラは芝居だ、音楽より芝居、そういった話をものすごく聞く。それに演技がないとおもしろくないという者も多い、まあこれはアマ的としか言いようがないが。それはさておき、上記の発言だが、まずヨーロッパの劇場等と比べると、残念ながら日本のオペラの音楽部分は音楽をやっているというレベルではないまだまだないので、忘れると言っても忘れるほどのものはない。完全に現実に気づいてない者の発言というわけである。要するに、やってないレベルでありながらちゃんとやっている&やれていると思い込んでしまっているというわけである。どの程度の数かは知らないが、このように考える者もいたということもまた現実とも言える。


さらに続けると、この発言には突っ込みどころ満載である。仮にこの方の言うことを真に受けたとする。そしてこの方は演技重視ではないという前提で言っている。それで考えるなら、まず演技が理由で音楽を忘れるということは、この時点で明らかに音楽より演技を重視してるということである。言い訳のつもりかもしれないが、全く言い訳になっていない。演技が入ろうと音楽を忘れるということは論外であり、オペラ歌手=演奏家=音楽家ではない。逆に言えば、音楽への意識も興味もある程度しっかりしていれば、演技をしようが何をしようが音楽を忘れることはない。そういう過度な演出をする演出家の問題というのも一理あるかもしれないが。ひょっとしたらこの方は、そこが日本のオペラの未熟なところと言いたいのかもしれないが、未熟なのはその対応力云々以前に、音楽への意識や興味であり、誰が何と言おうと演技第一に考えている現実がそこにある。そのつもりはなくとも、この発言は結果日本の致命的演技重視を再度丁寧に説明しただけに過ぎない。


参考までに、ヨーロッパにも演出面が盛んで積極的な劇場は当然いくつかある。某演出過激劇場のことだが、ここは演出があまりに過激で度が過ぎて、それが理由でいまいち客足が落ちてしまうぐらいである。ヨーロッパの聴衆は基本クラシックな演出を好む傾向が強く、現代演出等の斬新なものはいまいち難しいのが一般的。で、その過激場(歌劇場)のことだが、確かに演出は派手で動きも尋常じゃないことも多い。しかしその劇場、演技云々以前に、音楽面がめちゃくちゃ厳しくクォリティーが高い、確実なアンサンブルに仕上げている。コレペティ等が厳しくしっかりしているのであろう。そしてオケが激ウマである。なぜ演出過激場がそこまで音楽のレベルが高いのか、答えは簡単、演出を過激化するにはまずそれでも崩れることのないレベルの音楽(アンサンブル)を作る必要があるというだけのことである。


話を日本に戻して、演技が理由で音楽を忘れるということは、誰が何と言おうと音楽を重視していない、明らかな演技重視というこである。前期の通り、オペラは芝居だ、演技が一番大事だ、このように発言している人がものすごく多く自分も何人も見ている。むしろそうじゃない考え方の方(正常な方)に出会った記憶が基本ない。上記の発言をされた方は、その方なりの素直な考えなのかもしれないが、実際のところ、同時に現実に気づいていない、日本のオペラの現状の言い訳、これらも即明らかになってくるものである。さらに言うなら、オペラの芝居化を推進すべくその発言をしつつやってる人の方がある意味純粋というか、オペラ人としては大問題でも人としては普通かもしれない。しかし、この現実に気づいていない、すなわちこれでも音楽をちゃんとやってるつもり、演技重視ということはない、そう思い込んでしまっている人の方がある意味深刻とうか救いようがないかもしれない。


そんなこんなで、改めて日本のオペラの現実を考えさせられた非常に痛い言い訳でした!