Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

明らかに…

日本では原語上演が増えてきているが、しかしドイツ語だけが未だに日本語上演が多い。これが全く意味が分からない。今度うちの楽団でもやるルサルカ、最近これまたまたなぜか原語(チョコ語)上演をやってる団体がいくつかあった。指揮者も演出家もチェコ語&チェコオペラ専門家ではなく原語指導も呼ばずに。何でチェコ語をやってドイツ語をやらないのか。ドイツ語とイタリア語はオペラで一番メインになる主要ジャンルであることは言うまでもない。しかしイタリア語は確実にイタリア語でやって、ドイツ語は逆にほぼ日本語でやるという。全くもって基礎を無視しているというか、やる気がないというか…。


音大の声楽家を出たなら最低でもドイツ語、イタリア語、フランス語ぐらいでは歌えるようにというのが世界的な基礎である。日本はまだまだであるし、むしろそうする気がない、完全に自己満足である。明らかに、本物を理解し求める気がなく、自分達の都合に合わせている、言わばオペラを日本独特のものに変えている。これでは世界には全く通用しないが、しかし最近思うのは、単に本物を知らないだけなのかもしれないが、本場が同とか世界がどうとかはどうでもよく、自分達だけが満足すればそれでいい、それが島国の日本であるようである。


全く証明にならないもの

近頃は指揮者&コレペティトアのレベルの低下が世界中で著しい。人数だけはやたら増えて来たが、本当に優秀な人材は減少の一途。特に指揮者のそれは目立つ。その大きな理由の一つにコンクールがある。新世紀に入り特にここ10年ぐらいで国際指揮者コンクールの数が急増した。それに連なって世界各地で指揮講習会も急増した。自分が留学中はここまで多くなく探すのに苦労したが、明らかに時代が変わった。とは言えそれらはあくまでビジネスであり、若手育成等は明らかに二の次であることは言うまでもない事実だが。


指揮者コンクールが増える、これは言いかえるならシンフォニーしか触れない指揮者が増えることであり、オペラ指揮者が減ると言うことである。これがどういうことかと言うと、元来指揮者とはオペラの現場で長年下積みして修行し成長して行き、オペラ指揮者としてキャリアを築いた後にシンフォニーも振るというのが伝統で、それにより数々の歴史的名指揮者を生み出している。言わばオペラ指揮とは指揮者の基礎であり、オペラを理解していることが一流指揮者の条件である。しかし今の時代、シンフォニーだけで勝負して、うまくいってコンクールに上位入賞できれば即デビュー、一攫千金である。となると、その一番大事で一番時間のかかるオペラ修行を見事に根こそぎ省きデビューする指揮者が急増したわけである。当然上記の指揮講習会もそのためのシステムになり、極めつけは世の中の音大の指揮科がシンフォニーのみ、コンクール対応型な教育になってしまった。その結果、勉強も仕事も、全てにおいて指揮者として最重要な基礎が欠けた世の中になってしまった。当然世界中の指揮者のレベルは落ち続けるわけである。そして若い世代のプレイヤー達は、そろそろそういう指揮者しか知らない者も少なくなくなって来て、指揮者とはそういうものとなってきている。このままでは近い将来、本来のいい指揮が消滅してしまい、悪い意味で新しい時代が来てしまう。


そんなこんなで、世の中ではコンクール入賞歴、地域によっては卒業&終了といった学歴を重視することが多いが、しかしそれらは全く持って実力の証明にはなっていない。コンクール入賞がそれなりの水準ということもなければ、指揮科卒業が最低限度の教育を受けたというこにもならない、これらは何の参考にもならないことはすでに明らかな現実である。その辺から変えて行かない限り、このまま世界の指揮者はどんどんドツボにはまって行くであろう。


ルサルカより~コレペティ

来る年明けのルサルカ公演へ向けて準備が進んでおります。先週末で約2ヶ月間各個人&グループで行ってきたコレペティが終わり、一通り下準備ができた段階です。この後年末に音楽練習を集中的におこない、年明けにまとめて本番と言った流れになります。


ここまでは皆それぞれがそれぞれなりに順調かと思います。全歌手に対してコレペティをして、色々なことを考えさせられました。ヨーロッパで学び活動してきた自分は日本のやり方や考え方がどうなのかというところは、こうやって実際にやってみて初めて分かることが色々ありますが、ものによってはヨーロッパとの違いをまじまじと感じることもあります。まず今回は演奏会形式で演技が一切ありませんが、それでも演技で全てを作ろうとする日本独特のやり方が抜けず、演技なしと言っているにも関わらず無理矢理動こうとする者も中にはいました。今回はもちろん趣旨と全然違うのでやめてもらっていますが、しかしこのやり方の違いが非常に大きい。なぜなら、演技重視の人ほど歌ではなく動きで見せて表現しようとする、すなわち歌で表現することを限りなくやっていない、さらには知らないわけです。この現実はかなり大問題です。それから、音楽の作り方に関して。中には言葉や音の長さ等を色々質問してきたりする人もいますが、それ自体は決して悪いことではありませんが、傾向として日本の歌手でそれらを追及する人ほど、形から入って形だけになっている、すなわち形をしっかりすること=音楽という不思議なことにあんっている場合が非常に多い。形と言うのはあくまで最終的に出来上がったものであり、まず最初に考えるべきではありません。なぜなら元々我々が感覚で持っていない西洋音楽をやるわけで、形から入る=中身がない(後回し)では音楽にも表現にもなりません。この辺になると、いい悪い、正解不正解の問題ではなく、知ってるか知らないかのレベルの話になります。トータルすると、やはり日本ではまだまだオペラは発展途上、正確に理解されていない=まだまだ知らない、結果違うことをやっている、という現実に色々な面から気づかされます。


これらは数回の練習で言ってやって変わるものではありません。かなり若手ならば少しずつ変えてはいけますが、中堅以上になるともう変更不可能状態です。極論を言うならば、日本のオペラはヨーロッパとは真逆なぐらいに違ってはいますが、しかし日本のそれが好きでそれにこだわってやりたい人も多いようで、それは各自の好みの問題なので仕方のないかとかと思います。その場合自分のような指揮者&コレペティトアは全く役に立たないわけではありますが、今回ルサルカと言う特殊作品を通じて、一人でも二人でも何かしら感じて気づいてくれる人が出て来たならば、それはそれで充分幸せなことではないかと思います。とにかく今回はできる範囲で色々試してみたいと思います。