Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

役の声

変な題名になってしまいましたが…。オペラの役には声の設定があります。どの役がどの声で歌われるのか、どの声が適任か、どの声なら可能か…。色々ありますが、どの役も他生の範囲はあるものもあれど、基本的には適した声が存在します。それらは、まずは声種、そして声の質です。質とは、重いか軽いか、太いか細いか、などなど。声楽家は皆自分の持ち声と照らし合わせて、演奏可能なものを探し練習しものにしていきます。


しかし、この声の設定というのは、国や地域によって違ってくるものもあります。世界中どこへ行ってもほぼ同じものから、あるところへ行くと結構違う設定になっていたり。実は探すと結構あります。自分の経験上、有名な役で明らかに違うのが、G.ビゼー”カルメン”のミカエラです。この役は世界的には比較的しっかしした声の人が歌うという認識がされているようですが、実は本場フランスでは違います。軽い細い人にが歌う役です。かつて自分がカルメンを指揮することになった際、コレペティの師匠に是非習いに行くといいと紹介されたのがパリ在住のフランスオペラの大家のマエストロJ.ペリゾン先生。2日間彼とマンツーマンでスコアリーディングをさせて頂きましたが、その時に先生がこう言われてました。「世界中でミカエラは重い声で歌われているが、それが間違えだ。フランスでは細い軽い人が歌う。なぜならミカエラは若い娘だから」と。本場の方がそうおっしゃるので間違えはないでしょうが、しかしフランス語圏を出ると前述のような設定なわけで、一つの役でここまで認識が違うといういい例でしょう。


その他、せっかくなのでもう一例。自分が得意とするオペラ、A.ドヴォジャーク”ルサルカ”、日本ではあまり上演されませんが、ルサルカのアリアが有名でこれだけはよく演奏会でも歌われています。が、このルサルカの声も本場チェコと日本では大きく異なります。日本では太くて重い声でたっぷり揺らせて歌うと思われていることが多いようですが、実は本場本物は真逆です。普通から軽めの声の人がシンプルにサラっと歌うのがチェコで一般的です。最近日本でもルサルカを指導することがありましたが、この違いはものすごくはっきりとしていました。確かに日本人が日本人の感覚でルサルカを感じるとそうなってしまうのかもしれませんが、しかしドヴォジャークは日本人ではなくまさにそのチェコの感覚で書かれたわけです。


この他にも上げていくとキリはないかもしれませんが、役の声がどういう設定になっているのか、調べていくと結構おもしろいような気もします。そして声が変われば歌い方も当然変わります。それはもろに音楽に影響するわけですが、議論が尽きないネタでしょうねえ。個人的に思うのが、確かに地域的な設定や傾向はあるかもしれませんが、あくまで大事なのはその作品そのものなわけで、ひたすら作品と対話すべく…ではないかと思います。生涯かかりますねえ。

オペラの作り方~制作編

ヨーロッパの劇場は国公立がほとんどなため、予算は市や国や州から出て、劇場で働く者は皆市や国や州の職員ということになる。


日本の場合、辛うじて新国立劇場は国の管轄だが、それ以外は一部を除いて皆私立か個人的グループ(民間オペラ団体等)となる。当然社会的にも文化的にも経済的にもかなりの違いがあるわけで、日本のそれはヨーロッパのそれとは色々な意味で大きく異なる。まず大きな違いは支援の体制であろう。日本の場合、こういった芸術や文化に対する投資があまりに少ない為、オペラ人は皆苦労する。これはどうしようもない現実である。


具体的な話に行く。オペラとは日本の場合大体以下の通り。


製作チーム … 代表者等幹部
音楽チーム … 指揮者、副指揮者、練習ピアニスト
演出チーム … 演出家、演出助手
舞台チーム … 舞台監督、舞台補助、大小道具、照明、他


これに歌手陣、オーケストラ、合唱が加わり大きな一つのチームである。


ヨーロッパの劇場はこれらが常に会社として組織化されている。例えばドイツ語圏の劇場だと大体以下の通りになる。


製作チーム … 総裁、他
音楽チーム  … 音楽総監督、専属指揮者、合唱指揮者、コレペティトア
オーケストラ … プレイヤー、オーケストラマネージャー、他
合唱 … 合唱歌手、合唱アシスタント(大劇場の場合)、マネージャー
舞台チーム … 舞台監督、演出助手、舞台補助、大小道具、照明、他


実際はもっと細かく多くの部門と役職があるが、主要なところを大まかに書いた。日本との大きな違いは、音楽チームとオーケストラが極めてしっかり組織されているところであろう。ある意味劇場の核になっている部分である。


予算的な話である。残念ながら世界的に不況などでどこに行っても苦しい財政なようである。日本の場合は前述の通り投資が少ない為、やりたい人が自分で何とかせねばいけないというわけである。ものすごく限られた中でやらざるを得ない。しかし大事なのがここからである。限られた範囲なのは仕方ない分かり切ったこととして、それをどうするかである。日本のオペラ団体の場合、傾向はほぼ一つと言っていい。まず舞台演出面をどうするかを考える、そこにいかにして多くかけるかというわけである。同時に音楽面の予算を削る、正確に言えばいかにして可能な限り出さなくていいかと考える。舞台演出面と反対でまず削減の対象、できればゼロにしたいと考えている。それが実際に演奏能力にもアhン営している、ゆえにレベルは上がらないわけである。酷い場合は、予算を抑えるために音楽練習をなしにしていきなり立ち稽古から始める団体もあるらしい。これではオペラではなく音楽というおまけを片手間に付けた芝居である。


ヨーロッパでも予算削減の為に、オーケストラの編成を減らすため編曲された小編成版を使うこともある。しかし編曲にそれなりの予算がかかるわけで、これが頻繁に行われているわけでもない。日本でも同様にオーケストラの人数を減らそうとするが、それはオリジナルの楽譜で無理やり削るのである。明らかに音楽を大事にしていない。オペラはやはり作曲されてのもの、その土台を大事にせずに上演はありえないはずである。ゆえに音楽の予算を削れば必ず悪いことが起こる。反面、舞台面だって削ろうと思えば削れる要素は色々ある。しかしそれをしようとせず、音楽を削ろうとする。はっきりいってやるべきことは真逆である。特に日本では音楽を大事にすべきである。そうしないと未来は暗い。


こういったあり方について話せば切りがないわけである。ここに上げたことはごく一例に過ぎない。大事なのは、オペラを作る場合、演奏亜kだけでなく制作者も、芝居ではなく音楽作品を作るという意識を持つことが必要である。オペラ劇場は芝居小屋ではなく音楽会場である。ドイツ語でよくある表現で、オペラ劇場のことをMusiktheater(音楽劇場)という。芝居小屋のSchauspielhausは別部門にある。この認識はものすごく大事である。


オペラの作り方~音楽編

オペラをいかにして作るのか、音楽編と制作編と分けて書く。音楽編とは実際に演奏や舞台に携わる音楽家を中心に、制作編とは企画・運営等から予算的な部分。まずは音楽編から。


一般にオペラは次のような流れで本番に向かっていく。


音楽練習→立ち稽古→オケ合わせ→場当たり→ゲネプロ→本番


である。日本ではほぼこのやり方である。ヨーロッパの劇場も基本的には似ているが、やり方などに多少の違いがある。まず音楽練習、日本では歌手陣が指揮者か副指揮者の主導でピアニストがいて、という雰囲気を思い浮かべるであろう。が、ヨーロッパではこれは専らコレペティになる。最初の譜読み的段階から最後暗譜に至るまでがそうである。ある程度まとまってくると、そこに指揮者が来てコレペティトアの伴奏で練習するが、基本的にこれらはコレペティの中に属する。


立稽古、まずは荒立ちという大体の流れの説明的なものから始まり、繰り返し練習して行き、最後にピアノ伴奏による通し稽古になる。日本の場合は主に副指揮が指揮をし、主要な練習時には本指揮者が現れる。ヨーロッパでは指揮を義務付けられたコレペティトア等が指揮を行い、もちろんコレペティトアが伴奏し、主要な練習時には本指揮者が現れる。


オケが入ってからだが、まずはオケ練習が何日か行われ、歌手とのオケ合わせが行われる。その後出来上がった舞台で場当たりを行い、ゲネプロ、本番、という流れである。ヨーロッパもこれにほぼ同じだが、劇場によっては、ゲネプロの前に舞台でオケもしくはピアノ伴奏で通し練習や確認練習が行われることもある。


練習回数だが、これは演目による。しかしそれ以前に日本の場合は基本的にどんなオペラをやっても結構時間がかかる。数ヶ月から半年とか。ヨーロッパの劇場ではそこまでかかることはない。劇場にもよるがプレミエ数演目とレパートリーも数演目こなすところもある。となると1演目にかけられる時間はそれなりに限られているとも言える。大体6~7週間で仕上げるようになっている。とは言え、その時間内では結構集中して練習を行われるため、感覚的には日本より時間が短いとは言え、決して少ないという感じではないと思う。日本が時間かかる理由は色々あるが、ヨーロッパに比べるとだらだらとしている。


また音楽練習と立ち稽古の割合だが、日本は明らかに立ち稽古に時間をかける。音楽練習はあくまで譜読みと暗譜目的のようで、よく音楽がどうかという域に達していない場合が多い。というより、本来音楽練習でやるべきことを立ち稽古に持ち越しているようにも思う。少なくとも楽譜に書かれていること、楽譜から読み取れることは音楽練習でするべきである。例えば、間の取り方で、この間は何があるのか、どう感じるべきか。立ち稽古で演技がつけばある意味分かりやすいかもしれないが、こういうったことを立ち稽古になってからやっていたのではすでに遅いのである。とは言え、演出家が楽譜にあることと違う動きをつける場合がある。その場合、その動きが理にかなっていればまだしも、基本的にそれは演出家の問題である。仮に楽譜と違う解釈にするのであれば、それを補うべく、すなわちその音楽の中で可能な範囲のものにせねばならない。この辺がまずいい演出家かそうでないかの大きな違いにもなる。話を戻して、音楽練習の段階で当然こういった解釈はやっておくべきであり、その上で立ち稽古を行うべきである。これは本来普通のことであるし、それでいてようやく作品本来の世界へ到達できる可能性が得られるのである。あくまでオペラは音楽が支配している音楽作品であるということが土台にあることを忘れてはならない。