Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

とある会話

何年も前の話である。ドイツ語圏の某劇場の採用試験を受けた時である。試験が終わり、受験したコレペティトア3名(自分含む)で夕飯へ行った。しかも皆アジア人。日本人の自分と、指揮&コレペティを学ぶ台湾人の若い女性、ピアニスト出身のコレペティトアの韓国人女性の3名だった。残念ながら3名ともこの試験に受からなかったのだが、共通の話題が多く話が弾んだ!


コレペティについて話した時、あるネタが面白かった。ピアノの楽譜によく出て来る左手のオクターブ進行である。コレペティの場合こういうのは基本的に単音にしてしまうことが多い。その方がコレペティにとってより効果的だからである。そこで無理してオクターブ弾き続けるよりも余裕あった方が他の対応ができるからである。これはごくごく普通のこと。そこで面白かったのが、ピアニスト出身の韓国人コレペティトアが言ったことである。彼女が言うに、確かにオクターブを単音にするのは効果的でコレペティには必要だが、しかし基本的にピアニスト(ピアノ科学生含む)にとってはオクターブで弾き続けることは全く苦ではないとのこと。確かにそうである!ピアノの専門家にとってはそれは初歩的技術であり、確かに自分も含めて全てのピアノ学習者はピアノの初歩的課題でやってきていることである。しかし、ピアノが専門ではないコレペティトア=指揮者と、ピアノが専門のピアニスト、確かにこの技術的差はうなずける。そこで大事なのは、彼女はいずれも対応できるということである。もし彼女がオクターブを単音にできない、すなわちピアニスト特有の書いてある通りに弾かないと気が済まないというのでやり続けていたとしたら、確実にコレペティトアになれていない。とは言え、時にはオクターブを単音にせずあえてそのまま弾くことも大切なこともある。例えば、何かしらの理由でテンポやリズム、さらにはバスラインを強調したい時、左手をしっかり弾く=オクターブで弾くということである。あるいは元々オクターブで書いてなくてもそれらゆえにわざとそう弾くこともある。そんなオクターブの弾き方で長々と討論して盛り上がった3名であった!


これはごく一例に過ぎないが、このように弾き方の一部分で色々話合えたのは楽しかった。この日はこの他にも色々話したが、何を話したのかはこれ以外はあまり覚えていない。このオクターブネタだけが妙に印象的だった。コレペティトア同士、指揮者同士、時にはこういう一コマもおもしろいものである。



コレペティトアの減少

日本ではかなり前からそうだが、いや、むしろ今が改めて全盛期かもしれないが…。日本の演奏家はとにかくコンクール、これがなければメディアが動かない=一般のファンが信じない。当然指揮者も同じである。楽器や声楽の場合はソリスト以外にもオーケストラや合唱などまだ選択肢はなくはないが、指揮者は指揮者としてやっていけるかいけないかしかない。現状、国内では残念ながらコンクールのみがその道となってしまっている。


しかし元々指揮者とは、オペラ劇場でコレペティトアとしての長い下積みを経て正指揮者になり、後にシンフォニーオーケストラも、というのがヨーロッパの伝統である。コンクール指揮者とは主にシンフォニー指揮者であるが、近頃はヨーロッパでもある意味流行って来ている。世界的傾向として、まずオーケストラ(シンフォニックなレパートリー)を小奇麗に振れれば全てが早道と考えられてしまっている。たしかに、劇場下積みのように長い年月かけるより一攫千金の道があるのならばそれを目指したくなるのは人間のごく自然な心理かもしれない。そして最近はコンクール指揮者(コレペティトアとしても指揮者としてもオペラ経験のない者)がいきなり劇場専属指揮者や音楽総監督に就任ということが増えて来た。


このような指揮者事情から、地道な下積みの叩き上げ指揮者がどんどん減少している。言いかえれば、コレペティ経験のない指揮者、酷い場合はピアノが弾けない指揮者が劇場のトップに君臨するわけである。それはさておき、比例してコレペティトアを志す者は当然減少傾向にあり、いいコレペティトアはさらに少なくなるというわけである。ドイツでお世話になったあるベテランソプラノ歌手とこのような話をしたことがあるが、彼女は切に嘆いていた。「経験のない者にオペラが振れるわけがない。そういう指揮者が歌手を壊すんだ!」と。確かにその通りである。歌手の声とは繊細なものである。精神状態やコンディションなどがそのまま声に出てしまうわけで、経験のない分かっていない指揮者がむちゃをさせると単純に声がやられてしまう。一時的ならともかく、酷い場合はそれにより歌手生命が危うくなることもよくある。


コレペティトアからの叩き上げ指揮者、歴史に名を残した名指揮者は皆これである。しかし、今日この伝統は修行を面倒臭がった結果廃れて来てしまっている。本来はコレペティトアになるということは全ての始まりであり、いい指揮者になる為の必要不可欠な経験である。もちろん、この世にオペラ劇場が存在している限りなくなりはしない役職であり、声楽家という人種がいる限り需要も供給もなくなりはしない。しかし志すもの、優秀な者、どんどん減少している。オペラに携わる者はこの現実を冷静に受け止めるべきだと思う。


コレペティトアの種類

基本はオペラにおけるコーチ、世界中同じ認識である。しかし、今日コレペティトアとはいくつかの種類が存在する。以下の通りである。


― オペラコレペティトア
― 器楽コレペティトア
― バレエコレペティトア


基本この3種類であろう。ドイツ語圏の音大の場合、規模の大きいところはこれら3つに科が分けられていることがある。基本コレペティ科とは指揮科に属するのだが、その中でこれらに分類されているところがある。ちなみに、我が母校のグラーツ芸大は指揮科の中にあり、オペラコレペティ科しかなかった。しかしながら、ここは無理やり言うと”指揮コレペティ科”みたいな感じである。伝統的言い方で、指揮科へ行き指揮とオペラコレペティを学び劇場指揮者に必要なことを主に学んだ場合を”Kapellmeister Studium”と言う。Kapellmeisterとは、ドイツ語圏の劇場専属指揮者のことを指す。それの為の訓練ということで”劇場指揮者の為の訓練”みたいな感じであろう。


話を戻して、前述の3つのの違いである。オペラコレペティは言うまでもなく劇場コレペティトアになるべく訓練を受け劇場へ入ったコレペティトア、あるいは指揮者である。器楽コレペティとは、器楽奏者の為のコレペティトアである。ヨーロッパの音大には、声楽科はもちろん、器楽の科にもコレペティトアが存在する。実技担当教授が専門の楽器を通じて音楽を教えるのと同時に、音楽的視点で指導するコーチがこのコレペティトアである。やり方はオペラの場合と基本同じで、ピアノを弾きながら音楽を指導するのだが、楽器の技術的なことが中心ではなく音楽や楽譜についてが中心となる。実践的訓練と言えよう。そしてこの場合、オペラに比べてピアニスティックな要素が多くなる。オペラの場合は指揮者が担当することが基本だが、器楽の場合はどちらかというと器楽を専門にした伴奏ピアニスト的な者が担当することが多い。日本にはオペラのそれより器楽のこれの方が多いのかもしれない。バレエコレペティトアは、オペラコレペティトアのバレエ版である。劇場やカンパニーにおいて、バレエの練習でピアノを弾く者である。これもオペラに比べるとピアニスト的かもしれない。というのも、オペラコレペティトアが歌手を指導するような感じにバレエコレペティトアがバレエダンサーを指導することがなく、練習に付き合うことになるからである。ゆえに、オペラとバレエでは求められる要素が違う。劇場によっては、これらを別々に募集し採用するところもあれば、両方兼任の場合もあるが、基本的には別物である。バレエコレペティトアはもちろん日本にも存在しているが、このヨーロッパ的認識であるかどうかは微妙である。これも単にバレエ好きのピアニストが来ているという程度かもしれない。しかしオペラコレペティトアよりも日本とヨーロッパにおける業務内容の違いはない。ほぼ同じと考えていいだろう。


このように、コレペティトアと言われる人種にもいくつかのジャンルが存在する。そして、その中でもまたいくらか分かれている。例えば、オペラコレペティトアで、指揮者でコレペティをする者、指揮者&コレペティトア兼任の者、コレペティ専任&専業の者、伴奏ピアニスト&コレペティトア兼任の者。器楽コレペティトアで指揮者上がりでコレペティ専任&専業の者、伴奏ピアニスト&コレペティトア兼任の者。バレエコレペティトアで、指揮者上がりでコレペティトアの者、専任&専業コレペティトアの者。このように細かく分けると色々いる。共通して言えることは、やはり土台が指揮者であるということであろう。もちろん伴奏ピアニスト出身的なタイプも多く存在しているので、それぞれがそれぞれの得意性を持ち機能している。コレペティトアを志す者は、このどのタイプが適正かを考え、それに合った訓練を経てなるべきである。またその正しい理解と訓練がいいコレペティトアを生み出すであろう。