Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

新たな出会い

今日は某友人の紹介でオペラ公演の為の練習の代理コレペティでした。こう言ったケースはたまにありますが、今回久しぶりでした。紹介者の友人以外は皆初対面、いい出会いでした。


今日の歌手の皆様は本当に優秀な方々ばかりで、最初から結構歌えていたのでコレペティといっても大したことはしてないようなものです。コレペティトアとは基本的には自分が歌手らへ何かしらを与える立場ですが、こういう優秀な歌手陣の場合はこちらもいい意味で何かしら頂くものがあります。こういう出会いは音楽家として嬉しいですし、今後の為にいい刺激になります。


帰りにその中のテノール歌手の方と同じ電車でした。彼はご自身の演奏活動はもちろんですが、ご自身で経営されている声楽教室の方も積極的に展開されている方でした。色々な話が聞けておもしろかったです。こういう純粋にオペラに取り組んでられる方との出会いはオペラ指揮者&コレペティトアとしては何より嬉しく、また欲しい出会いです。こういう方とは是非何かしら機会があって欲しいですねえ!


というわけで、今日は新たな出会いがあり楽しかったです。また頑張ろうと素直に思えます!指揮者&コレペティトアとしてオペラに携わっていると色々な出会いがあります。そういう喜びが続けさせるのでしょうねえ。


本来なるべき者

これまでの色々な経験から思ったことだが、劇場の指揮者&コレペティトアは必ずしもオペラをやるのに適した人材ではないということである。どんな世界でも実力と地位は全く比例しない、実力があってもチャンスすら来ない者もいれば、実力がなくとも何らかの理由で成り上がって行く者もいる。これは世の中であるからある意味普通かもしれない。しかし採用基準、すなわち、どういう者がオペラをやるべきか、自分の知らない時代のことは直接見てないものの先輩方から教わったことも者に考えると、どうも時代と共にかなり変わって来たように思う。


指揮者&コレペティトアの育成が行われるところは主に指揮科かそれに準ずるところである。傾向として、指揮科は理論的、技術的要素が強い。もちろん基礎として必要なことだが、実践の場においてもこれらで押し通そうとする稽古が強い。実践の場合、基礎としてどこかに理論的理解があったり、技術的対応があったりはするが、しかし多くの場合そんなこと言ってる場合ではない理屈抜きに、といった局面が多い。


具体例をあげてみる。例えば歌手との稽古である。テンポやリズムを揃えようとするあまりメトロノーム的になる指揮者&コレペティトアが非常に多い。もちろん練習の段階では必要なことではあるし、この時点ではできない歌手の方が悪いと言われても仕方ない。しかしそれが過剰すぎると、長く多くやりすぎると、明らかに音楽的につまらなくなり、さらにはそれゆえに歌手の声に悪影響が言ってしまう。声とは精神状態が直結するものであり、過剰な無駄な行為は直ぐに出てしまう。そして最悪の場合は歌手は声をなくす。これらが原因で歌手生命を絶たれたものも実際にいる。程度はその場によるが、これは恐らく今の時代ほとんどの劇場で日常茶飯事に起こっているように思う。


指揮者&コレペティトアの多くは、立場上の視点から例えばメトロノーム的にやることを使命と思っている者も少なくない。確かに立場上これができるのもやるべきのもその人種であることには間違えない。しかし本来、指揮者はメトロノームでない。コレペティトアもメトロノームの役割をすることはあうが、作った者が音楽にならなくては全く意味がない。残念ながらコレペティトア=メトロノームとはっきり言い切ってしまうヨーロッパ人もいる。さらには日本にも実際にいるが、指揮者=メトロノームという考えまで。メトロノームというのはあくまで練習用の機械であって、全く音楽ではない。役割として必要なのは百も承知だが、音楽でないものを最後まで押し付けたり過剰に用いるのはその時点で明らかに音楽家でも演奏家でもない。


このように、音楽や歌手にとって明らかに限界スレスレの指揮者&コレペティトアが多いというのが現実である。なぜこういった人種が増えたかというと、元々の理由は歌手のソルフェージュ力等にあるのかもしれない。それからコンクールの時代で競技用、大量生産的な音楽教育になって来た今日、音楽的なことよりもそういった表面的で機械的な方面に傾倒するようになったとも言える。そしてないより大きいと思うのが、そういった理論的、技術的、機械的な者は指揮科の世界では優秀な者としてものすごく好かれるのである。例えばクラスの学級員等に進んで立候補する積極的な仕切り屋さんタイプのテキパキした固いタイプ、早い話がそういう者、そういうのにあこがれる者が集まって来たと考えれば近いかもしれない。しかし世の中それだけではうまくまとまる者ではない。ゆえにそういう人種の中で優秀とされた指揮者が優秀な指揮者では全くない。話を戻す。声を言う極めて繊細なものを扱うオペラ指揮者&コレペティトア、また音楽の最高な深い世界でもあるオペラ、ここにいるべき指揮者&コレペティトアとは本来どういう者であるべきか?そう考えた時、現在のオペラ界の状況、劇場指揮者&コレペティトアの人選、色々考えさせられてしまう人は少なくないはずである。


劇場の空間、すなわちオペラの現場において、基本的な役割は次である。オケは楽譜にあることを指揮に合わせて責任もって弾く、指揮者は楽譜をもとにピットのオケと舞台上の歌手を音楽的にまとめて合わせる、歌手は楽譜にある自分のパートを責任持って舞台上で表現する、である。もちろん言い出せば他にも色々あるが、一番の基本的土台はこう定義されている。その土台を考えた上で前述のことを色々考えて頂きたい。残念ながらオペラ界ではどうも歌手の尊厳というか、歌手の意見等が反映されていないところがある。確かに社会的には声楽家という労働者である以上ある程度使いまわされるのは仕方ないが、しかし音楽を作って行く上で、演奏家として最低限度意見すべきことなどはあるはずである。指揮者主導でやると前述のようになりやすい。しかし歌手主導になりすぎてもこれまた別の意味で難しい。バランスが大事である。ただ前述のような問題は明らかに歌手の意見が皆無のような気がする。その辺がうまく機能し、本質的に選ばれるべき者、すなわち本来オペラ指揮者&コレペティトアになるべき者が出現してくることを切に願う。


学友へのコレペティ

今週、久しぶりに古い友達、学友のコレペティに付き合いました。日本の音大の声楽科時代の仲間で、以来個人的に名が付き合いです。一緒に公演を何度もやり、何かとプライベートでも長く続いている一人です。たまに新しい譜読みや慣れないオペラが来るとコレペティを頼んでくるので付き合います。よく知ってるだけにすごく気楽で、いい意味で遊び感覚です。また自分もいい訓練になってます。


今回はドニゼッティのルチアのルチアとエドガルドのデュエット、エドガルド部分の譜読みです。友人は元々古楽専門にやっていて、近年普通にオペラも徐々にやるようにして来ている為、こういったメジャーオペラでもまだ慣れてないところがあります。でも元々は同じ声楽科の仲間、話は通じて理解には困りません。そんな作業がまたおもしろい。こういうことがたまにあるわけですが、たまには自分も全然知らないオペラを持って来られることもあり、いい経験です!


今週2日間にわたり付き合いました。次はいつどんなものが来るのでしょう。これはこれで楽しみです。