Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

世界におけるコレペティ事情

日本ではまだまだ正確に認知されていないコレペティだが、世界ではどうなのか。言うまでもなくヨーロッパ、特にドイツ語圏は伝統的スタイルが根付いている。ドイツ語圏以外のヨーロッパ諸国でも、いくらか地域ごとのキャラクターによる違いはあるが、大体似たようなスタイルで存在している。


ヨーロッパから少し外れてみる。ロシアやウクライナあたりに来るとすでに全然スタイルが変わっている。この辺では、日本と極似で、コペレティトア(劇場での歌手のコーチ)はピアニスト(ピアノ科出身者)の仕事となる。ロシアで歌っていた友人に聞いてみたところ、コレペティはピアニストだと言う。日本がロシアのこれを真似たのか影響受けたのかは知らないが、極めて似ている。コレペティトアの役割や求められる能力は指揮者そのもの、これは業務内容から考えても根本的に同じはずだが、果たしてそれがピアニストに務まるのか、実際行って見てみたいものである。とりあえず言えるのは、劇場が歴史的文化的に長らく存在しているロシアでのこの役職、日本よりはるかに機能していることは確かである。それが実際どういうものなのか気になる。


アメリカではどうか。劇場やオペラカンパニーにおいて基本的にこの役職は音楽スタッフ(Music staff)として存在するので、基本的にはヨーロッパのそれと同じであろう。しかし劇場の募集要項等を見ると、ヨーロッパに比べるとややピアニスト的に表現されているような気がする。多少キャラクターが違うのかもしれない。実際にそこへ行って見たわけではないが、ヨーロッパのがんぞコレペティに比べるといくらかアメリカ独自のキャラクターが存在しているように思う。ともあれ、ロシアや日本のように諸ピアニスト(ピアノ科出身者)というまでではないようである。


今日色々なタイプのコレペティトアが存在する。元祖コレペティ(=指揮者)、伴奏ピアンスト兼任のコレペティトア、指揮をしない専任コレペティトア、極めてピアにスティックなコレペティトアなど。もちろんその場と状況に応じて色々なタイプがいていいと思う。しかし大事なのは、その元祖コレペティがどういうものか、この伝統的スタイルこそがオペラを作り支えるということ。これだけは基礎として是非押さえられたい。


日本におけるコレペティ事情

日本にはヨーロッパのようなオペラ劇場は残念ながら存在しない。文化、歴史、と言われればそれまでである。とは言え、新国立劇場などわずあではあるが日本での可能性の中産まれた劇場も最近はある。そしてオペラ団体、オペラカンパニー等、体制やレベルなどの違いはあれど全国に結構ある。


オペラ団体があるなら、当然指揮者もコレペティトアも必要ではあるが、ここがやはり文化、歴史の違いであろう。指揮者こそ辛うじて存在しているが、コレペティトアは基本存在していない。最近は日本人でもヨーロッパの劇場で研鑽を積んだり仕事をしている者も少しずつ増えて来ているので、国内でも新国立劇場などを筆頭にいくつかの団体や教育機関に何人かは存在している。しかし民間オペラ団体レベルともなるとほぼ存在しない。では誰がその位置にいるかというと、ピアノ科出身の伴奏ピアニスト等である。日本ではそれを練習ピアニストと呼んでいるが、これをコレペティトアを思い込まれているケースも少なくない。が、練習ピアニストとコレペティトアは全く違う。


その前に、日本のオペラ界の現状である。新国立劇場等の一部のトップ機関を省いた日本のほとんどのオペラ団体で、ほとんどのオペラ関係者で、オペラ=芝居とされている。しかし本場ヨーロッパではオペラ=音楽である。同じものをやっていてどうしてこうまで違う解釈になるのか。理由は色々あると思うが、これは難しい問題である。結果的に言うならば、オペラは総合芸術と言われている。音楽があり、舞台があり、美術があり、文学があり、多くの芸術が結集した舞台作品である。しかし一番の根本にある土台を考えてみよう。オペラが作られるにはまずその題材があり、それがオペラの為に脚本化され、音楽が付けられて出来上がる。ここで一番中心になるのは紛れもなく作曲家である。作曲家が音楽を付けたことによりオペラとなりえるのである。そして上演する時には、その音楽をまず仕上げた上で動き等が付けられて、舞台装置等が加わった結果上演へとつながるわけである。このことから、オペラは芝居や美術等の要素が後から加わるとは言え、常に音楽に支配されていることが分かる。要するに、オペラとは舞台作品である以前に音楽作品である。なぜなら、W.A.モーツァルトの”フィガロの結婚”と書かれ言われるわけで、ダ・ポンテ(脚本家)の”フィガロの結婚”とは書かれないし言われないわけである。もちろんプログラムにはダ・ポンテの名前も書かれるであろうが、誰もがこれをモーツァルトのオペラと認識している。さらに言うならば、プログラムや公演案内等には、よほどの例外がない限りまず指揮者の名前が書かれ、続いて演出家の名前が書かれる。どっちが偉いかではなく、もちろんいずれも重要であるが、基本的に”まず音楽”という歴史的認識であろう。これらは誰が何と言おうと世界の歴史上の常識である。


ではなぜ日本ではオペラは芝居化しているのか?色々あると思うが、主な理由と思われるものをあげてみる。まずは異文化ジャンルと言えばそれまでかもしれないが、まずオペラとはヨーロッパで生まれた芸術であり、当然題材もヨーロッパの歴史、神話等からきているものも多く、何よりヨーロッパの言語による。この時点で理解困難なことは確かであるが、基本的に感覚や思想等はヨーロッパ人と日本人では全然違うわけである。国は違えどヨーロッパ圏内ならまだ通じやすいこともあるかもしれないが、東アジアの島国の我々ではさすがにあまりに違いすぎる。となると、ヨーロッパ人のそれではなくやはり自分たちの感覚でとらえてしまうところから始まるのは仕方ない話である。良い悪いではなく、知ってるか知らないかの話であり、仕方ない普通のことである。今日多くの日本人がヨーロッパへ留学し、演奏活動もしている。そして以前よりかなりヨーロッパのそれは伝わってきているが、しかしなかなか難しい話である。


まずはこの違いと切り替えの難しさが前提として考えて頂きたいのだが、それでいて日本は元々型文化で見栄えや形を重視する人種である。それゆえに姿、形のある美しいものに惹かれやすい人種である。それゆえに、日本人は元々芝居は大好きである。そしてオペラが入って来た時、姿、形のないヨーロッパ的感覚の音楽を理解するのはすぐには難しいわけで、目に見えて分かりやすい芝居や舞台にまず興味が行くのは必然である。それゆえに、日本人的にはオペラを音楽というより芝居として解釈してしまった、というよりしたかったのかもしれない。そしてオペラ劇場のなかった日本には当然オペラ指揮者という役職は存在しなかった。しかし日本にも芝居は前々からあったわけで、結果オペラが日本で広まり始めてからというもの、当然オペラ指揮者誕生よりも前に演出家の方が出て来たのである。となると、そのまま芝居小屋的空間が出来て行ったのは日本の社会においては普通である。


では、オペラは指揮者はどうかというと、残念ながら劇場がないため仕事としては基本的に需要も供給もないわけである。しかしオペラ公演は行われるわけで、誰かが振らないといけないわけである。ヨーロッパからオペラ指揮者を呼ぶという方法もあるが、今よりもそれが難しい時代であったであろう。それに言葉の問題も大きい。当然日本にも指揮者はいるわけだが、日本人指揮者とは20世紀から少しずつ出て来て、戦後どんどん増えて行ったわけであるが、劇場はなくともオーケストラはすでにいくつも存在したわけで、さらには高度成長あたりから国際コンクールに入賞する日本人指揮者もどんどん増えて行った。ゆえに、日本人の認識では指揮者=シンフォニー指揮者であり、オペラ指揮者というジャンルが知られて登場したのは現実問題かなり後になってからである。そんなこんなで、オペラ指揮者がなかなか出てこない、ということは当然コレペティトアも出て来るわけがないのである。しかしこれまた誰かが弾かないといけないわけで、そうなると必然的にピアニスト=ピアノ科出身者又はピアノが弾ける人、となったわけである。


こうして日本のオペラ界は、かなり長い間演出中心で、指揮者はどちらかというと後付け的立場、副指揮者(アシスタント)や練習ピアニストはさらに後付けというわけである。演出家中心ということで、同じアシスタント的立場でも演出助手の立場は決して悪くない。近年はオペラ指揮者やコレペティトアの存在が当時よりかはいくらか意識されては来ているが、しかし未だに長らく続いてきているこの日本オペラ界特有のシステムは根強い。それでは残念ながらオペラ指揮者もコレペティトアも育たないし、当然オペラのレベルは上がるわけないどころかさらに間違った方向に行ってしまう危険性が極めて高くなる。


参考までにヨーロッパの劇場のシステムについて少し触れておく。音楽チーム、演出チーム、いずれもしっかり存在している。日本のオペラの現場的視点で考えると、ある意味音楽面が相当しっかりしているか強すぎるように感じるかもしれない。ヨーロッパの劇場の音楽チームは、音楽総監督(GMD)から専属指揮者(Kapellmeister)などコレペティトア(Korrepetitor)まで人材が揃っており、音楽練習開始から上演に至るまで全てを支えるシステムがある。舞台稽古開始以後を支える演出チームも当然しっかり存在している。このシステム等については話せば長いのでまた機会を改めるが、日本ではヨーロッパのそれと比べると音楽チームが異常に欠けているということが経験ある方なら理解できるであろう。


これらのことから、日本ではコレペティトアは存在する理由も、誕生するきっかけも長らくなかった。当然教育機関も指導者もいない。今日多少増えては来たとは言え、オペラ指揮者と共にまだまだ未開発状態である。しかしながら、人数こそ限られるかもしれないが、最近は日本人でも優秀なオペラ指揮者やコレペティトアが存在していることも事実である。そのほとんどがヨーロッパの劇場等で活躍し帰国していないが、日本人でもしっかりと修行し実力をつけた人材がいるということはすごいことである。残念ながら日本国内ではまだそういった人種は仕事として成り立たない社会なため帰国して活躍するのは至難の業かもしれないが、いつの日かそれらがもっとよく機能できる日が来ればいいなと願うばかりである。


採用試験の課題

劇場のコレペティトアの採用試験の課題とは定番があり決まっている。国によりその傾向は違うが、そのれぞれの国や地域では大体同じ傾向にあり、その中で何が設定されるかといった感じである。


ドイツ語圏の劇場の採用試験課題を例にあげてみる。


まず100%来るのはW.A.モーツァルト”フィガロの結婚”Ⅱ幕フィナーレである。何においてもまずはこれで様子を見るところから始まる。当然劇場指揮者&コレペティトアを目指す者はまずこれからコレペティの準備を開始する。で、この20分以上にもなろうかという長いフィナーレだが、実際に試験で弾き語りさせられる箇所は決まり切っている。定番は始めの伯爵と伯爵夫人のシーン、アントニオ登場のシーン、この2箇所が一番出る。特にアントニオ登場は出ないことはない。始めの箇所は場合によっては言われないこともある。それから最後のマルチェリーナらが出て来るところ、稀に中盤のフィガロ登場箇所も言われることもある。


それから、G.ビゼー”カルメン”Ⅱ幕クィンテットもよく出る。これはとにかく弾きにくく、それでいて5声部もあるパートをメインな部分を歌いつないでいくという重唱弾き語りの基礎的要素も審査される。これをスムーズに弾き語るのは決して簡単ではないが、それだけに弾き語り(コレペティ)の基礎能力がよく分かるいい課題である。


そしてR.シュトラウスもかなりの確率で出る。これは通常、"薔薇の騎士”Ⅰ幕冒頭~歌が始まって間もなく、”サロメ”Judenquintett、”エレクトラ”Maegdeszene、この3つから選択となる。受験者はこの中からやりたいやつを選び準備する。ちなみに自分はいつも”サロメ”を選択している。ここで審査されること、まず言うまでもなくR.シュトラウスのこれらの難所はピアノが演奏不可能レベルと言っても過言ではない。とにかく音も多く、テンポも早めが多く、ヴォーカルスコア特有の指が届くわけない音符=オーケストラを無理やりピアノ譜にした、コレペティトアの作業としてハイレベルな課題である。前述の2曲が比較的基礎レベルなら、これは応用レベルと言えよう。とは言え大劇場ともなるとR.シュトラウスやそれに似た大規模作品は毎シーズンのように取り上げられるので、この能力はそのまま仕事になる。ある意味この課題で、その劇場で充分使えるかどうか、対応できるかどうかの最終的選考と言える。


その他、G.プッチーニ”ラ・ボエーム”のⅠ幕冒頭から、Ⅲ幕フィナーレ、Ⅳ幕頭からムゼッタ登場までなどもちょくちょく課題になる。後はその時その劇場が次のシーズンで取り上げる演目から難しい箇所を引っ張ることもある。長定番課題とは大体そんなところであろう。劇場を目指す指揮者&コレペティトアは常にこの程度の課題はいつでも対応できるように準備しているものである。


採用試験では、この他に課せられる課題として、初見がある。初見演奏が困難な箇所、初見能力がよく分かる箇所を何かしらのオペラから引っ張って来ることが普通である。しかし、初見の試験は通常招待状が来た時点で課題一覧に書かれてはいるものの、実際に試験会場へ行くとないこともよくある。劇場の上演演目は新シーズンの約半年ぐらい前からぼちぼち分かりだす為、劇場に入ってしまえば準備期間がないわけではないので、初見能力はそこまで重要視されないこともある。もちろん大劇場で演目数の多い劇場ともなると、かなりの数の演目を担当する場合があり、その場合すべての演目を充分に練習できないこともあるだろう。となると初見能力はあった方がいいということになる。この辺は劇場次第である。


初見の他にあるのは、ベートーヴェンのピアノソナタ1楽章などピアノ曲を1曲課題にする劇場もある。傾向として比較的規模の大きい劇場に多いと思う。理由は、劇場歌手がリートなどの演奏会をする場合に伴奏させようという狙いがある。またオーケストラで鍵盤楽器を担当するという狙いもある。単にコレペティだけするのであればピアノの技術は必要ないかもしれないが、これらの場合はやはり人前での演奏になるので最低限度ピアノのクォリティーが求められる。


もう一つあるのは、劇場専属歌手あるいは同劇場オペラスタジオ歌手に対してコレペティ実践をさせる試験もある。大劇場に多いが、小さい劇場でもありえる。時間にして短いが、実践的試験なため、受験者の対応力が丸わかりで、さらには採用後実際にコレペティされる側の歌手から生の反応が聞けるため、より厳しい試験と言えよう。歌手との作業が得意タイプの者は逆にこの試験には強いかもしれないが、声楽に対して弱いタイプの者にとっては過酷かもしれない。しかし世の中変なもので、指揮者&コレペティトアはほとんどの場合声楽に弱く器楽的(オーケストラ側)位置にいるものである。ゆえに審査する方もされる方もこのタイプならば、もし歌手の意見が反映しない劇場だったなら声楽をよく知る受験者が一気に不利になってしまう。残念ながらこういう現実は日常茶飯事である。


劇場の採用試験はこのような内容で行われる。一部の例外を省くと、ドイツ語圏の劇場ではこれらを結構短時間で審査し判断することが多く、短い時は1人あたり約10~15分以内で終わってしまう。試験課題の設定は、劇場がその時どの役職でそういう人材を求めるかによって決まる。ゆえに各劇場それぞれのキャラクターがある。その辺はよほど知り合いがいるかではない限り、採用試験を受けに行ってみないと分からない。その為、行っては見たが全然キャラクターが合わず論外となることもよくある。反面、キャラクターがぴったりで簡単に受かってしまうこともある。まあ確率的に受かることの方が当然はるかに少ないのであるが、しかし劇場採用試験とは、指揮やコレペティに限らず全てそう。決してうまいやつを探しているわけではない。もちろん下手過ぎては困るものの、一番重要なのは劇場がその時求めるのがどういうタイプかである。例えば、今回は強い声の歌手が欲しいとなった場合、どんなにうまい歌手でも求められるほどの強い声でなければ、その歌手より技術は少し劣っても求めてた声の歌手が採用されるであろう。このように、最後はキャラクターが合うかどうか、要するに相性、縁である。要は出会いだが、そういった運も大事な世界である。劇場入りを求め続けるのであれば、自分にできる最大限をやりつつ、その出会いが来ることを信じて続けるしかないのである。