Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

一流歌手

昨夜久しぶりにプラハ国民劇場へ行って来た。A.ドヴォジャーク”Jakobin”というオペラ、チェコでは有名な作品である。急に思い立って行って来た。公演はなかなかおもしろく、実は初めて聴いたのだが、ドヴォジャークらしいボヘミアンなきれいな音楽だった。で、今夏チェコで振った同じくドヴォジャークの”ルサルカ”で共演したテノール歌手が出演していた。彼はチェコを代表するテノール歌手の1人で、もちろん演奏は超一級品である!


近年思っていたことがある。それは、世界の一流劇場で歌う第一線の一流歌手と共演してみたい、である。というのも、そのぐらいのレベルの歌手とは一体どんなものなのか、お互いどのようにできるのだろうか、純粋にそう思ったからである。で、今夏チェコでそれが現実のものとなった。その”ルサルカ”の公演である。チェコを代表する国民的オペラの”ルサルカ”を外人がしかもチェコ国内で振る、普通なら許されないことである。しかし色々あって、運よくそのチャンスを得ることができた。もちろん、日本人指揮者が”ルサルカ”をチェコ国内で指揮したのは歴史上初である。この公演は音楽祭のメインイベントとして行われたのだが、歌手陣は1人中国人がいたが、後は皆チェコ人。オケもチェコフィルを筆頭にプラハ国立歌劇場、プラハ国民劇場、プラハ交響楽団の主要メンバーが中心になり、そこに音楽祭のオーケストラアカデミー受講生が乗るという豪華なものであった。そして歌手の主要メンバーが、プラハ国民劇場&プラハ国立歌劇場を筆頭にチェコの歌劇場で常に主役級を歌う一流歌手陣だった。


彼らとの共演は刺激的で、全てにおいて過去最高な体験だった。特に前述のテノール歌手はチェコでかなり有名な方で、某脇役のチェコ人歌手が練習前にビビっていたぐらいである。彼は表現力も声も素晴らしいのだが、歌手にしては破格にソルフェージュ力がすごかった。自分が受け持つパートは完璧に準備できていて指揮者から言うことはないと言ってもいいぐらい。また自分のパートへの責任感が強く、常に完璧なまでに見事なのだが、練習の時に1回だけ間違えた時、後の休憩時間にものすごく紳士的に謝って来た。そして、こちらからの注文はほとんど一度で完璧にクリアする。また自分の意思表示がはっきりしっかりしているので、何をどう歌いたいか、テンポからフレージングまでがよく分かる。指揮者が一方的にテンポを作るのではなく、まさに共演である!本当に高いレベルでのアンサンブルができた。誰が何と言おうと超一流歌手である。彼と練習していて、これこそが自分が求めていた世界的一流歌手との共演だと確信した。


コレペティの現場では、この一流歌手が普通にやりこなすことを細かく全部練習せねばならないことがよくある。もちろんそのれがコレペティトアの仕事だと言われればそれまでかもしれないが、しかし極論かもしれないが、歌手は本来このテノール歌手のようにできるのが理想であり、多くの歌手たちが基本的には目指しているはずである。しかしそれがどうにも難しく、なかなか実践できていないというのがほとんどであろう。指揮者の自分が彼との共演で刺激を受けたように、歌手同士でもこうした一流の方と共演する機会があるならば、それは間違えなく貴重な経験になるはずである。CDや演奏会だけではなく、こうした接点を持てる機会を少しでも多くの方々に求めて頂きたいと強く思う。もちろんそれはなかなか叶わない現実もあるかもしれない、しかし求めれば何とかなるというところもある。


昨夜彼の演奏を聴きながら、ルサルカの時のことを思い出しつつ、また来るであろう共演の機会が待ち遠しくなったのであった。日本から来た見知らぬ指揮者がいきなり自分の国の最高のオペラを振る、正直なめられても仕方ないようなレベルの話であったが、彼らチェコの一流の歌手陣達はしっかり向き合い、そして一緒にルサルカを演奏できた。一流の演奏家とは、同じ音楽をする仲間を純粋に謙虚に認め合い、高め合う、そういう人のことを言うのだと思う。


人材不足

オペラ界にも人材不足がある。例えば、世界中のオペラ界がイタリア人の優秀な人材を欲しがっている。しかし、イタリア人は山を越えて中央や北のヨーロッパになかなか出てこない傾向があり、そもそも優秀な人材が少ない。それゆえに、イタリア人で使える可能性が少しでもあると、例えばドイツ語圏の劇場採用試験でも途端に受かりやすくなることがある。


今住んでいるチェコ。指揮者不足と言われている。長らく閉ざされていた国だが、逆に閉ざされていた頃の方が歴史的名指揮者が多かった。開けた今、逆にいなくなったような。それに、今日優秀な人材は外へ出てしまう。それでいて元々内輪だけで回す傾向の強い国、ある意味必然とも言える。特にオペラ指揮者は本当に優秀な人材がいない。


それらはさておき、日本はどうか。まず劇場がなくてオペラ文化が元々ない国と言うことをあえて前置きしておくが、しかしオペラ指揮者&コレペティトア、明らかに大不足である。もちろん出て来たからと言って”劇場がない=仕事がない”というわけだが、それでもオペラ団体は数多く存在しヨーロッパほどではないにしてもオペラ公演もそれなりに行われるようになって来た時代である。オペラ指揮者&コレペティトアは必要か必要じゃないかと言われれば、やはり必要である!


ではなぜ不足しているか。ヨーロッパとは色々な意味で理由は異なるが、あえて2つの視点から書いてみる。せっかくなのでコレペティトアを軸と考え、日本でコレペティトアになり得る指揮者から、ピアニストからの視点で考えてみる。


まず指揮者からの視点である。日本で指揮者というと”シンフォニー指揮者=コンクール指揮者”である。完全にこれに尽きる。一般のファンからしても、指揮者はコンクールで優勝してオーケストラでシンフォニーを指揮する人、と明らかに思い込まれている。ゆえに、日本で指揮者を目指す人は当然この路線にいる。そして指揮科や指揮の教育機関へ行くと、当然シンフォニー&コンクール対応型とでも言おうか、その路線へ進ませる教え方になる。日本の指揮科にコレペティレッスンなんて恐らく未だに存在してないと思う。とは言え、近頃はオペラも指揮者の道の一つとは認識はされているので、そちらへ行こうとする人もいないわけではない。しかし、ここからが問題である。仮にオペラ界へ指揮者が顔を出したところで、日本オペラ界は明らかに”オペラ=芝居”である。ゆえに、指揮者やコレペティトアが顔を出したところで、残念ながら必要度等が低く扱いもよろしくない。それではいくらやる気出して学ぼうとする者がいても誰も育たない。それゆえに、目指すものが少ない環境にある、目指しても育つ環境がない、まとめるとこんな感じだろうか。そもそも”オペラ=芝居”というのが日本オペラ界最大の問題であろう。少なくともヨーロッパではあり得ない解釈である。この固定観念だと、結局のところオペラ指揮者の地位は恐ろしく低く、コレペティトアは機械のごとく伴奏道具でしかなくなり、オペラ人としての存在感はないに等しい。


ピアニストの視点からである。この場合、伴奏の延長でオペラの方向へ進むことが普通であろう。まずは声楽の伴奏をして、歌曲あり、オペラアリアあり、オペラアンサンブルあり、そしてさらにオペラに興味を持ちオペラの現場へ、こういう流れが通常であろう。ここまでで考えるならば、ある程度オペラが好きでのめり込めばある程度は務まる。日本のオペラ界では、コレペティトアは指揮者という認識はまだ低く、ピアニストと思われていることが多いから、ある程度大事に扱ってもらえるケースもあるかもしれない。しかし、本格的にコレペティトアとしてオペラの音楽スタッフとして動いた場合、日本のオペラ界のネーミングで言うなら副指揮者と立場的に同じになってくる。その場合、指揮者のアシスタント的立場になり、副指揮者同様小間使いになる。ピアニスト&伴奏者としてしかやって来たことのない方ならば、この扱いはちょっと酷なものに感じることもあるであろう。自分もそういった方々を何人か見てきたが、それゆえに続かなくなることが少なくない。この辺がコレペティトアという立場や名前の認識による違いからくる問題であろう。


ここに上げたものはほんの一例に過ぎないかもしれない。しかしながら、少なくともここに上げたものは一つの確かな理由としてオペラ指揮者&コレペティトアの人材不足となっている。理由はなろうとする側にも、その逆側にもある。これは一体どうしたらよくなるのか、非常に難しい問題である。



伴奏者とコレペティトアの違い

何だかんだと区別が曖昧な二つである。近頃は確かに両方の要素を持った者も増えては来ているが、基本的には全く別である。例えば、日本のオペラ公演のプログラム等の記述で、”練習ピアニスト”や”コレペティトア”などいくつかの書かれ方があるが、実際のところこれはそういった区別がはっきりなされずに書かれていることが未だに多い。また伴奏者が”自称コレペティトア”の場合があり、その中には区別がなされてないままの方も残念ながら多くいらっしゃる。さらには、本人は”コレペティトア”のつもりでやっていても、その認識に誤りがある場合も多い。いずれにせよ、そういった循環の結果、未だ間違った認識が多く続いているのは事実である。というわけで、”伴奏者”と”コレペティトア”について、違いを書く。


伴奏者とは、こちらの方が日本では認識がはっきりしていると思われる。本当の職人的伴奏者こそ日本にはごくわずかだが、ジャンルとしてはしっかり存在している。伴奏ピアニストとも言われたりもするが、ソロやアンサンブル等でピアニストを伴う場合のパートナー的ピアニストである。特にリートの分野では、歌手と伴奏者の関係がものすごく深く濃いものである。楽器の伴奏でも癖こそそれぞれの楽器に特徴こそあるものの、やはりソリストのパートナーとしての要素がある。そしてリートも楽器も、デュオという言い方も存在している。これは要するに、片方がメインで片方が脇役ではなく、二人の演奏家で一つのものをやるといったパートナー的表現であろう。日本ではほとんどの演奏会でこの”伴奏者”が存在する。ピアノソロや無伴奏でない限り必ず伴奏をするピアニストが存在する。またオーケストラを伴う公演においても、協奏曲からオペラに至るまでオーケストラが伴奏の役割を担う。その場合は指揮者が伴奏者的立場になるであろう。


コレペティトア、劇場で歌手に稽古をつけるトレーナーである。通常は指揮者が担当するが、専任コレペティトアもいる。ヴォーカルスコアを弾きながら歌手に稽古をつけ、発音、解釈、音楽作り等多くの準備を行う。ヨーロッパのオペラ劇場には必ず何人か存在し、裏方ではあるものの非常に重要なスタッフである。


ざっと説明するとこんなことろである。早い話が、伴奏者=ピアニスト、コレペティトア=トレーナー&指揮者、である。この時点で伴奏者=演奏家、コレペティトア=音楽スタッフ、ということがお分かり頂けるであろう。明らかに違う人種である。業務内容からしても、基本的には全く違う訓練をしてなるものである。


以上のことから、これらの違いは明確になったであろう。しかし、前述の通りこれらを兼任する者も最近は少なくない。ちゃんと訓練さえした者であれば、ピアニストでもコレペティトアとして仕事している者もいるし、あるいは指揮者出身のコレペティトアでもピアノがそれなりに弾ける者であれば、コレペティだけでなく演奏家会で伴奏する者もいる。それゆえに、両者の存在や役割がごっちゃになることもあるかもしれない。それこそ、日本のオペラ公演プログラムである。練習ピアニストは練習で伴奏するピアニスト、コレペティトアは音楽稽古から歌手に付き合うトレーナー、本来これだけの違いがある。が、単にオペラの現場でピアノを弾くから全員コレペティトア、とされていることが非常に多い。これは明らかな間違えである。厳密に言えば、日本のオペラの現場にいらっしゃるピアニストはほぼ全員練習ピアニストである。もし本当に両方が存在する現場があれば、プログラムへの表記は分けるべきである。それだけそこに到達するまでの経緯も業務内容も異なるわけである。


とは言うものの、コレペティトア=指揮者はオペラを指揮する=伴奏するわけである。ゆえに、いいコレペティトアであればピアノの能力がそれなりにあればいい伴奏者になれる可能性は充分ある。同じように、いい伴奏ピアニストがもし必要な訓練をして行けば、いいコレペティトアになれる可能性だって充分ある。伴奏、コレペティ、この二つは確かに違うジャンルではあるが、いずれも同じ音楽家であり、ソリスト等らとアンサンブルをするということでは共通する。本当に大事なもの、土台になるもの、それらには違いはない。