Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

挑戦

プレイヤーと指揮者の間には永遠平行線な部分がある。これは社員と管理職、リーダーとその他大勢と同じである。良いバランスが一番理想だが、しかしそれを極めるのはかなり難しい。


具体的に、自分の専門職であるオペラ指揮に関して例を上げる。歌手と指揮者との間のことであるが、ここにも永遠平行線な部分がある。歌手とはどちらかと言うと感覚的で精神的要素が多い。指揮者は理論的で機械的な傾向が多い。さらに言うならば、歌手は器楽奏者等にない流れ(呼吸含む)で歌いたいところがあるが、それゆえにいい加減で雑になる部分もある。指揮者はそれを交通整理しようとするがために、機械的でつまらなくなりやすい。これら両方のいい部分を混ぜ合わせいいバランスを作れれば一番いいのであろうが、しかしこれをやる人は基本的現れない。なぜかは分からないが、しかし一つだけ言えるのは、歌手は指揮者的要素、指揮者は歌手的要素、それぞれに興味を持って学ぶことがほぼない。これでは何も変わらないわけである。それゆえに、歌手が指揮者になること、歌手出身の指揮者とはほぼ皆無に等しい。


しかし、自分は珍しく歌手出身の指揮者である。実は元々は歌手的タイプではなかったので指揮者になれたとも言える。反面、歌手としての専門的経験と知識があるからこそオペラが振れるようになり、指揮者として歌手に接する時にかなり強いと言える。ただその結果、歌手からは喜ばれるが指揮者から嫌がられることが多い。これには2つの要因があって、1つは指揮者が好まない、興味ない、苦手な能力を持っているということ。もう1つは、稀にその能力に気づかれると、やはりその方が機能して明らかにいい演奏になるので、嫉妬されて切られるということである。なかなか難しい現実である。


冷静に考えると、現時点では自分のこの能力は結果を出させてもらえない現実にあるが、しかし、気づかず嫌がる人は仕方ないとして、嫉妬する者達のことを考えると、実は目に見えない結果、すなわち能力は認められつつあるとも言える。要は、これをどうやって世に出すかである。自分の人生、これを世に出すことが使命だと思っている。まだないジャンルと世界で開拓をすることになるので最初はかなり難しいが、しかし歌手を筆頭にプレイヤーはこれを求めて待っている。その為に頑張らねばならない!これを達成すると言うこと、すなわち自分がオペラ指揮者として世界で大成すること、自分のやるべきことである。果てなき挑戦、このために全てを捧げて行く。


謎な現実

何度も書いていることだが、日本のオペラは演技重視、オペラを芝居化させることに全てを費やしている。そしてそれゆえにか、音大という演奏家育成教育機関にいながら、声楽科にてオペラ歌手という演奏家育成目的に課程にいながら、多くの人が演技に走り、中には演出家を目指す者がいる。ここまではこの流れからすると必然であり、確かに声楽科から演出家が誕生するのは必要なことである。しかし、ではなぜ声楽科やオペラを学ぶ者のなかから指揮者が出て来ないのか?オペラは指揮者と演出家が先頭に立って作るもの、それゆえに両方に憧れ目指すも物が出てきてもいいものであるが、指揮者を目指す者は全くいないとは言わないまでもほぼ皆無である。学生時代からなぜそうなのか、相当疑問に思っていた。


以来色々経験し、最近分かったことである。まず日本ではオペラは芝居だと洗脳する為、芝居に興味が持てた者だけが生き残る世界となっているということ。当然音楽に興味のある者は生き残れないので、確かに指揮者になりたい者でそうは出て来ない。むしろ、指揮者に興味を持つほど音楽が分かっている、オペラを理解している者は、日本のオペラ界では生息不能なため、最初はそこにいてもほどほどのタイミングで出て行ってしまう。それから、これは世界中同じことだが、声楽家はソルフェージュ力や読譜力に欠ける者が多いので、可能性的にも確率的にも単純に簡単ではなく、あまり指揮方面に興味を持つことが多くないというのもある。そしてもう一つ、これは最近確信を得たことだが、それゆえに日本のオペラ界は演出家が神様で指揮者は大して必要とされていない為、仮に興味を持ったところで何もできないと言う現実がある。さらには学ぶ環境もない。オペラ指揮を本格的に学ぶにはやはりヨーロッパ留学ということになるが、ヨーロッパで本物のオペラを知り現地のやり方で学び慣れてしまうと、申し訳ないが日本ではやってられなくなってしまう。こういった現実から、日本のオペラの現場からほぼ指揮者が出て来ないと言える。


結果論だが、演出家にあるか、あるいは演技等の方面に何かしら長けている者は、日本のオペラ界ではスター街道まっしぐらである。完全にオペラではなく芝居である。しかしながら、役者の友人によく言われることだが、なぜ日本のオペラ歌手はあんなに演技が下手かと。さらに日本のオペラは奇妙で見持ち悪いと。実は一般人からもよく言われることである。とは言え、日本のオペラ歌手は音楽をそっちのけで演技ばかりをひたすら追求し、演奏家ではなく役者と思ってやっているぐらいである。それでいてこの有様、悲しいとしか言いようがない。


これは日本のオペラ人が謙虚に受け入れねばならない現実だが、オペラの演技と芝居の演技は全く違う。芝居の演技をオペラの演技でやることは不可能である。それを無理矢理そうしようと言うわけであるから、それは不自然、ゆえに気持ち悪くなるのは当然である。そもそも、日本のオペラ歌手は皆オペラの演技のことを「芝居」と言う。全く持ってそれは「芝居」ではない。オペラの演技でしかなく、芝居と言うのは役者がやっているあれである。実は日本のオペラ歌手らは、プロの役者に対してものすごく失礼なことを言ってやっている。オペラ歌手はあくまで演奏家であり役者ではない。後にその要素は入って来るにせよ、あくまでオペラ歌手は演奏家で音楽の専門家である。芝居の専門家ではない。そしてオペラをやる上での演技がをやっているだけである。


これらは物凄く基本的なこと、勉強に例えると小学校低学年レベルの教科書に出てくるようなことである。それがなぜここまで逆に日本では教育、いや洗脳されているのか。ものすごく謎である。普通に純粋に謙虚に音楽としてオペラをやることができない理由が分からない。どう考えても、どう見ても、どうやっても、オペラは音楽であり芝居にはなり得ないのだが。確かに日本人は外から入って来たものを自分達の都合に合わせて変えてしまう傾向が世界的に見ても極めて強い。島国独特である。しかしオペラのそれはさすがに気持ち悪過ぎる。ギャグを言うつもりではないが、あえてひとこと言わせてもらう。駄目だこりゃ!


宣伝!巣へ帰るw

KPB第8回定期公演≪創立5周年記念≫のJ.シュトラウス”こうもり”です!以下の通り演奏会形式・原語上演・ナレーション付きにてやります。


近年チェコと日本でのA.ドヴォジャーク”ルサルカ”を振るなどした影響もあり、チェコ物振りというイメージが広まりつつありますが、元々はオーストリア・グラーツに留学し、結局のところオーストリアでの時間が一番長く、そして慣れ親しんでおります。ゆえに、チェコ物と思って頂けることはもちろんありがたく光栄なことですが、実はオーストリア&ウィーン系というわけでありますwというわけで、古巣へ帰る、自分の家、ウィーンが誇るオペレッタ”こうもり”にて、一番自然な自分の姿をお見せできるかと思います♪


ご興味持って頂けた方、是非お気軽にご来場下さい!