Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

暗譜について

オペラに携わっていていつも思うことだが、なぜ声楽家は大半が譜読みが弱く暗譜を嫌がるのか。特に日本では、暗譜するのは演技するために仕方なく…みたいな者も少なくない。形式的には演技するためというのも一理なくはないとしても、やはり最大の目的はそれではない。それより何より、やはり暗譜した状態が一番音楽に集中できるわけであり、楽譜を見るというのはそれだけで楽譜を見るという意識にある程度集中がいくため、多かれ少なかれ音楽への集中は欠けるわけである。


そもそもなぜ声楽家は譜読みが弱いのか?正直分からない。普通に勉強&訓練すれば普通にできることと思うが、要するにそれをやってないということになるが、なぜ声楽家はそれをやらないのか?これが謎である。ではそれをやらずに何をやっているのか?これまたな謎である。一つ分かるのが、やたらと発声の訓練ばかりして声のことしか考えないというのが多すぎるのはある。しかし、例えばソルフェージュ的なことは最低限度やらねばどうしようもないことであるので、それをやってないとなると単純にアマかということになるが。で、それらが欠けるならば当然暗譜能力もある程度それに比例するわけであるが。


暗譜に関してだが、読譜力等が弱い場合はいくらか手こずることにはなるが、しかしはっきりいって慣れの要素も暗譜には強い。要領悪くともある程度回数と時間をかければ自動的に覚えてしまうものである。速度には個人差が出て仕方ないまでも、暗譜は絶対できないものではない。要するに、気持ち一つである。暗譜ができない、やりたくない、不安、などというのははっきり言って完全なる言い訳であり甘えである。そもそも暗譜できない者はオペラの舞台に立つことは不可能である。


自分はとある考え方から日本では演奏会形式でオペラをやることにこだわっているが、この場合演技がないから=演奏会形式だから楽譜見ていいでしょ?という者が少なくない。我々からすると、演奏会形式=演技なしだからこそ音楽に集中できるというわけで、暗譜してひたすら音楽だけで表現することに徹したいと思うわけである。というより、本来オペラはそれが普通であり、それでさらにプラス演技というわけである。演技があるから歌はほどほどで後は動きで見せればいいというわけでは決してない。結局音楽をしっかりやる=暗譜するは当然で当たり前のことである。それができない者は単にオペラに出ることは不可能、要するに能力なしということである。


最近思うのが、特に日本で演技重視(オペラ=芝居)、そしてこの暗譜等の問題、これらから正直疲れていている。オペラはもちろん自分の最大のネタであり自分が一番世の中に貢献できるものであることには変わりないが、このような状況が続くと逆に自分には何もできなくなり、心身ともに疲れてくるわけである。そろそろ深刻な悩みにもなって来た。