Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

対応するということ

異国の地へ行きそこで何かをする、これは言いかえるなら自分をその地に合わせる、すなわち対応するということである。当然のことのようだが、しかしこれは日本人は大の苦手、というよりやりたくないことのようである。島国でかつて長らく鎖国をしていた日本、外の者と接して関わり合う経験が世界的にも実は結構欠けているため、外人や外国のやり方や考え方に合わせる=対応するということが限りなく下手である。これは多くの日本人はえっ?と言うかもしれない。なぜなら多くの日本人は、日本人は世界でもトップクラスに対応力があると思い込んでいるからである。しかし残念ながらそれは錯覚である。それはあくまで日本人の枠の中での思考の範囲であり、全てを自分たちの都合に合わせて考えているからであり、島国から脱出してないそれに比例する。もちろんこういう自分たちの都合に合わせてしまうということは世界中誰でもそれなりにあることではあるが、日本人はそれが経験上特に強いわけである。


最近あるサッカー選手のインタビューを聞いた。彼はヨーロッパの有名リーグで活躍する。日本人インタビュアがこう質問した。「日本人が貴方のリーグで活躍できた例はほとんどないが、貴方が活躍できる要因は何だと思いますか?」と。彼は答える。「自分の能力等は伸びることはあってもその性質は実はそこまで変わらないし変えることは難しい。まずは自分をその地に対応させて、それができれば自分の持っている能力は自然に出てくるようになる。それができればどこに行ってもそれなりに活躍できると思う」と。確かにその通りである。音楽に置き換えてみると、ヨーロッパに留学する人、ヨーロッパで仕事をする人、今日それなりに沢山いる。しかしその中で早々と引き上げて来るものから永遠現地で活躍する者までさまざまである。もちろん最初の留学目的や人生プランの違いもあるから一概に言えない部分もあるが、しかし現実的に、現地に対応できてないがためにということが非常に多い。まず早い段階でそれが分かった者はほどほどの時期に帰国し、さらには現地に残っている者でも対応しきれてない者の方が多い。結果、若いうちはいいが中年ぐらいになると帰国する者も実は多い。


自分の留学時代のことである。ある学友といつもヨーロッパについて、日本との違いについてよく話していた。彼も自分もそのままヨーロッパに残っている。反面、多くの日本人留学生は、ヨーロッパにいても尚、日本を過大評価し続けたり、ヨーロッパを見下げたり、はたまた日本では優秀とされる音大出身者はヨーロッパに来ても尚「自分は〇〇音大出身です!」と言い続ける。これらはもちろんその人の価値観なので仕方のないことではあるが、一つ確かなのは、完全にヨーロッパに対応する気がないということである。当然そういう者は後に帰国している。何もヨーロッパに残って活躍することが全てではないが、しかし日本人が外に対応するすることに対する能力の低さ、それに対する興味や意識のなさと低さ、それを物語っている。


サッカーでも音楽でも、正直皆がヨーロッパで通用しているわけではなく、むしろごく一部である。成功するかどうかはタイミング的要素もかなりあるので、対応力あ実力のあるなしでは一概に決められないが、少なくとも現地に対応するということの大切さは必須である。今でも変わってなければ、リーガ・エスパニョーラは、試合に勝てば報酬を得るが、負ければなし。彼らがサッカーの試合に勝つか負けるかは地位や名声だけでなく、と言うより何より生活そのもの、さらには人としての一番重要で根本的な部分が直接関わっている。言わば彼らは命がけでサッカーをしているわけである。反面、元々は好きで始めたサッカーなのは言うまでもない。サッカーを愛し、サッカーに自分の人生を捧げられる者、それこそがプロである。同じことが音楽にも言える。ヨーロッパの音楽家が演奏する、音楽をするということはサッカー同様命がけであり、人生そのものである。当然何より音楽という芸術を愛し尊敬し、その為に自分の人間としてのものを全て捧げる、それがプロの音楽家である。単に仕事としてこなして報酬を得るのがプロではない。当然一理あるが、根本的大前提がある。


日本である先輩に昔こう言われた。「音楽家と言えど、社会人なわけだから、まずは人として、音楽という2次的なことは…」と。社会人として、人として、これはごもっともだが、しかしそれと音楽を切り離しているところがいかにも日本人らしい。前記の通り、音楽もサッカーも人間そのもの。命がけで人生の全てをかけているプロは、その人の社会性や人間性がプレーそのものである。ゆえに音楽を2次的というのは、その時点で全くプロではなくたたの趣味レベルにすぎない。その先輩は自分の為を思ってアドヴァイスを下さったわけで、その行為には素直に感謝している。しかし発想が根本的に違うし、残念ながら本からすると論外である。考え方や位置付けの違いと言えばそれまでかもしれないが、しかしこれは仕方のないことである。なぜなら、日本の枠の中で活動するその先輩の中ではそれが全てで最高であり、それ以上の世界を知らないわけである。何が言いたいかというと、これが現実である。日本人の外に対する対応力のなさ、その意識のなさと低さ、それが音楽もサッカーも、全てのことにそのまま影響している。国際化と言われる今日、これでは相当の危機感を感じている。当然外からは、日本人は対応できない、むしろしない人種とみられていることは言うまでもない。


音楽に関して、対応すると言うことは具体的にどういうことか。ヨーロッパで生まれた西洋音楽をするには、その土地や人種、文化、歴史等に目を向け、何より作曲家へ敬意を持ち、その曲を自然に感じ再現すること、または知ることである。また本場に伝わる伝統を素直に謙虚に受け入れること。例えば、オペラは芝居ではなく音楽であること、音楽は数学ではなく精神的感覚的芸術であること、など。