Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

配置

オペラ上演の場合は舞台に歌手陣、オーケストラはオーケストラピット、という風に決まっているが、演奏会形式の場合はどういった配置にするかが問題になる。ホールの構造やどの程度演出効果を出すかなどによって色々変わって来るのだが、同時にそこにその団体の市域レベルなども現れて来る。よく見てみると色々な要素がこの配置の設定の仕方にある。


ヨーロッパの場合は比較的シンプルである。一部の例外を省き、オーケストラを舞台に普通に配置して、ガラコンサートのようにオーケストラの前で歌うことが多い。あるいはオーケストラの後ろに舞台中舞台を組むこともあり、その場合はスペースがあれば少し動くこともできる。ところが日本はかなり傾向が違う。まず日本の場合は演奏会形式であっても可能な限り演出(動き)を入れることを最優先する傾向が強いので、歌手陣の動けるスペース確保を考える。それゆえに、オーケストラは結構無理やりな場所に配置されることが多い。よくあるのが、舞台上の前半分歌手陣で後ろにオーケストラ、舞台上ほぼ全部歌手陣でオーケストラは舞台の隅の一部分。このあたりが主流ではないかと思われる。


結構な違いがある。ヨーロッパのそれは完全に演奏会形式という名前そのものであるのに対して、日本の場合は演奏会形式と言っていいレベルになってるのかも危うい感じがする。それは完全にオペラの位置づけの違いにある。ヨーロッパではオペラ=音楽、日本ではオペラ=芝居、これが土台になっているということがよく分かる例である。その為、オーケストラのの扱いが変わって来るわけである。ヨーロッパでも例外的に日本のような配置にせざるを得ないこともあるが、極力避けようとしる。なぜならオーケストラの地位が悪いとコンタクトが取りずらいか下手したら取れなくなり、アンサンブルが乱れてしまう。ところが日本の場合はそれでも演技することが一番と考えられている為、音楽やアンサンブルを犠牲にしても気にならないかのようである。それでも音楽もやっているつもりなのかもしれないが、いずれにせよオペラにおける音楽への考え方が足りないのは残念ながら事実である。


一つおもしろい経験がある。自分はこれまでに日本でもヨーロッパでも何度も演奏会形式オペラを振って来ているのだが、上記の傾向の違いがもろに出ている例をあげる。まず日本では言うまでもなくオーケストラを可能な限り後や端に追いやろうとする。当然指揮者もそれに付随するため、この時点でアンサンブルをある程度無視していることにもなる。ところが大抵の主催者や歌手らはこの配置を平気で当たり前のように行って来る。これは本来指揮者&オーケストラにとって、さらにはオペラを残してくれた作曲家に対してものすごく失礼なことである。そしてヨーロッパだが、チェコでの経験である。広いギャラリーに作られた特設ステージでの演奏会形式オペラ。オーケストラも歌手も舞台上に乗る者として準備はされていたのだが、しかし正確な配置は決まっておらずその場で考えて決めて練習して本番という強引な状況であった。まあチェコではよくあることではあるのだが…。話を戻して、当然その場でどうしようかとなるわけだが、チェコ人のあるベテラン歌手が指揮者の自分の提案をして来た。2つ案があったのだが、そのうちの1つは日本では絶対にありえない発想だった。しかし一番理想的な要素を踏まえたものであった。というのは、オーケストラが前で歌手陣が後ろというものだが、状況は次の通り、イメージして頂きたい。舞台は平面、舞台後ろにはオペラのシーン(背景)を映すスクリーンがある、舞台上はぎっしりでオーケストラと歌手陣が乗るとほぼ余裕はない、こうである。そもそも限られた状況でやるしかないというわけではあるが、しかしここで歌手を後ろへという発想は日本的目線では絶対にありえないと思う。平面の舞台でオーケストラだけでもあふれるような舞台上、その後ろでスクリーンの前、歌手的には決して居心地がいいとは思えない。しかしその歌手はこの提案の理由を一言でこう言った。「その方が自分らと君としっかりコンタクト取れるだろう」と。要するにこういうことである。彼がその状況をどの程度見えて把握していたかは正確には分からないが(大してできてなかったかもしれないが)、配置を考える上であくまで指揮者とのコンタクト、すなわちアンサンブル=音楽を迷わず最優先したのである。しかも熟考の末ではなく、当たり前だろうと言わんばかりに即そう言ったのである。明らかに彼は音楽を第一に考えている。ちなみに彼はチェコを代表するベテランバス歌手である。


このように、配置というもはどうしようもない難しい状況に置かれて仕方なく決断を迫られることは確かにあるかもしれないが、根本的なオペラへの考え方や姿勢など、意識レベルが実は素直に出ているところがある。上記のチェコと日本での経験でその違いち意味を考えさせられた。ある意味変わった視点でオペラを見ているようかもしれないが、しかしこれもまたおもしろいのではと思う。