Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

とある歌手の限界

かつてヨーロッパで共演した某アジア人歌手(ソプラノ)、彼女との共演で大事なことに気づかされた。結論から言うと、その公演で彼女は歌手としての限界をさらけ出してしまった。そこから、歌手にとって大事なものとは何か、何を大事にすべきかを改めて再考することができた。ある意味分かり切っていたことではあったが、ここまで現実を目の当たりにすると…である。


彼女は発声の技術をよく研究し、綺麗な声で無理なく歌っていた。それでそれなりの長い期間、演奏家として、指導者として頑張って来た。しかしながら、彼女の演奏を聴いて、その経験は確かによく分かったが、これまでかとも思ったわけである。あまりにそれだけ過ぎたのである。結論的に言うならば、彼女のこれまでの声楽家としての修行もキャリアも、全て”声”だけであった。ゆえに、音楽的なこと(解釈、楽曲研究等)、演奏表現的なこと、アンサンブルのこと、ソルフェージュ的なこと、語学のこと、などなど。それらが残念ながら欠けていた結果、演奏としての説得力が乏しく、聴衆の満足感は得られず、また共演したヨーロッパの歌手陣とものすごく差がついてしまった。前述のように”声”に関しては彼女なりにかなりの努力は見られたが、それだけにこの結果は残念であった。具体的な例をあげると、例えばフレージングやアーティキュレーション。研究が足りないために、言葉は聞こえない、音楽の流れがない等。これはヨーロッパ人歌手と並ぶとあまりにはっきりしやすい。これではいくら声がよくでも声が通らないわけである。ソルフェージュ的なことは多くの歌手が抱える問題ではあるが、それにしてもオケ合わせで最後の最後まで苦労した時には周りにいくらか迷惑がかかってしまった。あげると色々あるが、例えば大体こんな感じである。


日本の声楽家にもかなり多くてびっくりするのだが、彼女も例外ではなく”声”が一番大事とおもっているタイプである。しかしこれは声楽家が一番陥りやすい間違えであると同時に、自ら歌手としての限界を極端に狭めてしまうことになるのである。要するにこの手のタイプは、修行に費やされる時間のほぼ全部を発声ん費やしてしまう。これというのは音楽を伝える手段(楽器)であり、最重よなわけはない。あくまで音楽が最重要なのは全演奏家に同じである。ゆえに声以外にも沢山のことがある。それらをせずに声だけ磨いでいてはひたすら残念なだけである。声だけがどんなに出ても音楽にはならない。しかし多くの歌手が声が出れば、声が音楽、などと考え結局声だけ出して終わるのである。


はっきり言って、声だけ出したいのであれば、のど自慢コンテストで充分、というよりそのレベルでしかないわけである。音楽家として、演奏家として、声楽に携わるならば、何より音楽、その為の声作りである。これは絶対忘れてはいけないことである。前述の彼女も、せっかく長年頑張って来たわけなのに、同じアジア人として残念に思った。当然その場では指揮者としてできる限りの手助けはしたものの、さすがに限界があった。指揮者やコレペティトアは歌手をある程度助けられる部分はあるが、当然それにも限界がある。声楽家として頑張ってられる方は、是非ともその辺を分かった上で、自ら限界を作らず頑張って頂きたい。そしてそういう方々と共演したいと切に願う。