Der Korrepetitor

オペラ指揮者&コレペティトア・宮嶋秀郎がコレペティについて語るブログ

最低必須条件

演奏家として世に出るために、国や地域によっては最低必須条件が存在する。多かれ少なかれどこにでも何かしらあるのかもしれないが、頑なにそれにこだわるところがある。かつて留学時代、韓国人の仲間が皆過剰に”Master”修了にこだわっているのを見た。これは要は大学院修了ということだが、韓国人らがあまりにそれに強烈にこだわるのである時仲のいい韓国人に聞いて見ると、「これは韓国では最低限度必須なんだ」とのこと。そうでなけえば韓国ではその道の者として認められないと言う。アジア独特の古い保守的なものかと思った。韓国のそれほどではないかもしれないが、日本でも確かに”ちゃんとす津行する”ということにはうるさいおころがある。その類だろうと当時は思っていた。


近年色々経験して知ったことだが、そういった最低必須条件が存在するところがいくつかある。まずは学生時代に聞いた話だが、ロシア方面のある地域では、卒業資格がないとプロ団体と契約できないという。また最近知った話だが、ハンガリーでは韓国のそれと同様修士がないと、まずプロ団体のオーディション等が受けられないとのこと。もちろん世界には色々な人種とその考え方があり、これまで多くの人種と接してきてそのことはよく知っている。しかしこの修士が必須等は正直理解できないところがある。修士必須の考え方は、そこまでやっていれば最低限度プロとしての能力は兼ね備えたであろうということである。単純に、どこの学閥にも属さずどこで何して来たか分からない志願者より受け入れ側としては安全と思うのであろう。それは確かに分からなくもない。とにかく人数が多いこの時代、採用枠は限られるので、まずそこで振り落としたいのは当然であろう。しかしそんな中にも隠れた才能がある可能性だって充分ある。さらに言うなら、修士を持っていても使い物にならない者は相当数いる。むしろ修士があって使える人の方がごく限られている。簡単な話で、学校で成績優秀な者が本当に頭のいい人間なわけでもなく人として立派ではないのと同じで、修士資格があるからと言って優秀な演奏家ということは全くない。経験上、実力もつかないままだらだらとわけもなく必要だからと思い込み修士課程を修了するまで学校にい続ける学生はかなり多い。逆に、実際に自分も何人か知ってるが、本当に実力ある者は、何らかのタイミングでチャンスをつかみ、退学して仕事するというわけである。こういう者は本当にかっこいいと思う。


話は変わって、日本はと言うと。日本も確かに卒業にはうるさいが、最近はかつてよりも緩くなってきているように思う。ましてや韓国のそれよりかははるかに緩い。しかしそれより何より、日本では”コンクール”である。これは自分が経験した限り、そこの国のどんな必須条件よりも強烈である。結果、日本の音楽教育はコンクールの為だけになっきて、純粋にいい音楽を、ではない。さらには、コンクールに簡単に通る=天性の才能を持った者(天才)、そういう人種しか相手にしなくなっている。これはヨーロッパの徹底した音楽教育とは全然違う。そして自分の専門分の指揮、これは特にコンクールが強烈である。コンクールさえ通れば実力に関係なく仕事が来るところがある。反面、どんなに実力があってもコンクールに通ってなければ門前払いである。実際問題、コンクール=実力ではない、むしろ真逆である。しかし聞いた話、事務局やマネジメントやメディア側あkらすると、やはり売れないと意味がないわけで、コンクール入賞者の指揮者を採用しようと言うわけである。修士のそれと理屈は同じであろう。確かにコンクール崇拝者の多い日本では妥当な方法かもしれない。しかし本当にそれだけであろうか。一般のファンの方々でも、コンクールしか信用しない人もたしかにいるかもしれないが、そうではない純粋にいい音楽を求めいい演奏家に出会いたいという人も近頃少なくないと思う。自分のように日本ではマイナーなオペラ指揮者というジャンルは基本コンクール系とは無縁で日本では確かに出て行きにくい人種ではあるが、しかしそういった純粋に喜んで下さる方々に出会うことも最近ちょくちょくある。そんな時思うのが、そんな方々の為に一生懸命演奏したという純粋な音楽家の原点である。本来音楽とはそういうものであり、コンクールや学歴でどうこうできるものではない。正直、そういった最低必須条件は、実は音楽そのものにおいては実にくだらない何の役にも立たないものである。


しかしながら、今日のそういった流れは仕方のないこと、時代とでも言おうか、人間社会ゆえにとでも言おうか。そんな中でも、せめて自分だけは決死て音楽の本質、喜んで下さる方々へ音楽を伝えたいと言う希望、そういった本当に大切なものを忘れずいようと思う。ある尊敬する先生(マエストロ)が自分にかつてこう言われた。「本当にいい音楽があってやってる人は、いつかどこかで認められていくものだと思うけどなあ」と。そうあるべきであるし、そう信じたい。道は長く険しくても、耐えて乗り越えてそこに向かって進み続けることが、音楽家としても人としても、それこそが真の強さである。